展覧会Exhibition

鴻崎 正武 - TOUGEN
「TOUGEN No. 71」、2012年、パネル、麻紙、岩絵具、アクリル、箔、 60 x 60 cm

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鴻崎 正武 - TOUGEN

2012.12.7(金) -12.25(火)

この度、アートフロントギャラリーでは鴻崎 正武個展「TOUGEN」を開催致します。

鴻崎正武の作品、プロフィールについては下記の作家ページをご覧ください。
日程 2012.12.7(金) -12.25(火)
営業時間 11:00~19:00 (12月17日(月)のみ休廊)
会場 アートフロントギャラリー
イベント オープニングレセプション 12月7日(金) 18:00~20:00
作家在廊日  12月23日(日)、24日(月) いずれも午後より
 鴻崎は自身の絵画のシリーズを桃源(TOUGEN)と呼ぶ。ニューヨークでも作品を発表しているがそこでも一貫してそのままアルファベット表記にしている。おそらく彼にとってEdenやUtopiaとも異なる特殊な余韻を持った英訳しきれない言葉なのであろう。
 言うまでもなく桃源とは陶淵明の詩『桃花源記』に由来し後年は仙人に対する憧憬と結びついている。そこは「ここでないどこか」理想の異界であって、偶然迷い込むことでしか訪れることはできない場所とされる。そこは日常生活の延長線にはなく、「到達できない」場所であるということが重要なのだと思われる。それでも果たして彼の作品に描かれたモチーフ、風景は理想郷に見えるだろうか。例えば鴻崎の代表的な作品である代官山の蔦屋書店に設置されている大きな画面に散りばめられたモチーフを見る。動物が機械と掛け合わされていたり、古典的な風俗の上に人工衛星が飛ぶ。そこは金箔の活字が空に飛び交う、物や情報で満ちた異形の怪物たち世界であって、私たちが桃源と聞いて連想するような牧歌的な理想の場所ではなさそうだ。
 一方、鴻崎の作品から連想するのは過去私たちが出会ってきた東西の歴史の中での絵画である。例えば日本の絵画で言えばおそらく実際に見ないで風聞をもとに描かれた室町期の南蛮絵図。あるいは江戸時代に描かれた鍋や釜などに足をはやした百鬼夜行絵巻。日常の外にある「ここにはないどこか」に対する憧れや怖れは驚くほど日常とどこかつながりながらも空想を駆使し奇妙な掛け合わせの「異形」として描かれている。あるいは西洋でも16世紀初頭のオランダのヒロニムス・ボッスは祭壇画においてエデンの園と地獄の間に洪水が世界を破滅させる前の「快楽の園」を描いている。この作品は中世的な世界観だと思うがなぜいまでも身近に感じられるほど決して色褪せることのない人間世界の空騒ぎを描く。私たちがこれらの作品一つ一つのモチーフを見ながら新鮮に思えるのは、文明を腕の中に抱え込んだ人間がいま至上の幸福を目指すのであるとすれば昔も今も実はあまり変わっていないということからだろう。私たちは今も抱え込んだ物を持て余しながらも、さらに便利な世界を求めて、電話を外に持ち出せたら、その電話に目覚ましを組み込んだら、テレビも組み込もう、などと思いがけない実に個人個人の掛け合わせをパーソナルな世界に浸りつつ、空虚な世界をここにいない誰かと共有しているつもりになっていないのだろうか。
 昨年の震災以降の不安の中で、あるいは現在のアジア諸国との関係の中で私が思うのは世界が他者の立場に冷静に立って共鳴できると思い込んでいても実はそうではなかったという事実である。鴻崎の実家のある福島県の双葉町は事故を起こした福島第一原発の所在地であり、スローガンとしての「東北がんばろう」という言葉と現実の狭間の中で揺れ動くものが当然あったと思う。近年のこの作家の発言の中に「東北から新しい文化活動が起こせるんじゃないか、と東北各県の画家たちにも声をかけ、いろいろ準備を進めている矢先に大震災が起こったんです」とある。発信力のあるアイデンティティを作り出すことと差別は諸刃の剣だ。私たちは常にその狭間の中にいて活動をしている。多かれ少なかれそれぞれが独自に持った桃源が葛藤をしあわないことを願いながら、鴻崎の絵画を凝視し、組み合わされた物と物のつながり、そこから生まれる物語や意味を思いながらも、現実世界を思い出さずにはいられない。鴻崎の描く楽園が誰もが想像の中でこうなったらいいと思う空想上の異形の地であり、そこが世界の彼岸にあるけっして行くことのできない「ここではないどこか」であると思いたい。

アートフロントギャラリー  近藤俊郎

画像:「TOUGEN73」、パネルに麻紙、岩絵具、アクリル、箔、ジェッソ、400 x 1000mm、2012年

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