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dialogue : エコ・ヌグロホ 作家による作品解説

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dialogue : エコ・ヌグロホ 作家による作品解説

ギャラリー

2019年10月4日(金) - 11月 3 日(日)

社会的な問題を想起させる物語性を含ませつつもどこかユーモアがあり親しみやすい作風、力強い輪郭線や強烈な色彩、作品に決まって登場するマスクをつけた人々のまなざしが印象的なエコ・ヌグロホの作品。瀬戸内国際芸術祭2019と同時開催されたアートフロントギャラリーでの本展では、昨今の 緊急の課題である移民と国境の問題をテーマにしつつも、それだけではないいくつかの興味深いエピソードが見え隠れします。今回、作家本人に本展覧会のコンセプトや作品解説など制作における試みを語って頂きました。

日程 2019年10月4日(金) - 11月 3 日(日)
営業時間 11:00 - 19:00 (月、火休)
- エコ・ヌグロホ 個展 Nowhere is My Destination
《展覧会コンセプトについて》
AFG:
今回同時開催した個展と瀬戸内国際芸術祭では共通するテーマ、すなわち戦争や弾圧により故郷を去らざるを得なくなった人々のアイデンティティや、移住、国境といった問題に注意を向けましたね。21世紀においてなお増え続ける難民を取り巻く不合理な現実を、あなたは「壁」に形容しています。当初このコンセプトを聞いたとき、この「壁」というキーワードを聞いて思い浮かんだのは、アメリカの移民政策で物議を醸したメキシコ国境における物理的な壁の建設でした。実際伊吹島での展示では、会場となる古民家に人工的な壁を設けていましたね?一方で実際に作品と向き合ったとき、この「壁」というキーワードは、むしろもっと普遍的な、心理的な状況を形容しているように感じました。今一度この壁というキーワードに関して、あなたの考えを聞かせてください。

installation view at Art Front Gallery

ヌグロホ:
瀬戸内芸術祭の参加作品と、こちらでの展覧会の関係について少しお話したいと思います。私は境界そのものに関心があり、なぜ人々が壁によって分断されなければならないか、壁というものは既に我々の頭の中に存在するのではないか、たとえ民主主義社会で自由が保障されていても壁は存在するのではないかと思います。我々は常に境界とは何かを定義しようとしている、というのが根本のアイディアです。だからこそ、こぎれいな古民家の中に、なかには既にいくつかの壁はあったのですが、新たに壁を作るというインスタレーションを行いました。

installation view at Art Setouchi 2019, Ibukijima-island

ヌグロホ:
瀬戸芸での作品の舞台である伊吹島は岩田地区では、地元に暮らす人々の感情と我々の感情とはちょっと違うものではないかと思います。彼等は美しい島に暮らしているけれども、その島はもはや人口流出で空っぽです。従って普通に考えれば彼等は孤独を感じ、その孤独感がある種の「壁」をつくりあげているとってもよいかもしれません。そんなことに気づいたときに、今回のコンセプトを作品に取り上げてみよう思いました。というのも、彼らは孤独であると同時に、しっかりと自分たちだけで生活しているというエネルギーをも持っているからです。ちょっと複雑なのですけれども、美しいけれどもコンクリートの壁がそこにはある。その孤独感というものを自分がつくった壁の上に表現しました。実際のところやってみると、この孤独感が私に多くのファンタジーやハプニングをもたらしてくれました。それは伊吹島に住む彼等のおかげです。

Eko Nugroho "What I Plant Grows Wilder Than What You Plant", 280x150cm, Embroidery, 2019

《刺繍作品” What I Plant Grows Wilder Than What You Plant”について》
AFG:
あふれんばかりの極彩色、力強い輪郭に葉っぱなどパターンのような描写、そして目元以外顔を隠した人々の無表情が非常に印象的な作品。一目で途方もない手間がかかった作品とわかりますが、制作の経緯をきかせてください。インドネシアには伝統的なバティックが有名ですが、この刺繍作品においてもインドネシアの伝統工芸と関係してきますか?

detail of "What I Plant Grows Wilder Than What You Plant"

ヌグロホ:
この刺繡のプロジェクトは2007年にコミュニティプロジェクトとして始まりました。機械化の波によって、このコミュニティにあった織物産業がコンピューターに取って代わられた結果、彼等は職を失い、村に帰って農民になったりタクシーの運転手になったりしました。ですから私は彼等を誘ってまた刺繡作品をつくってみないかといったところ、やる気があったので、ミシンを買って私の描いた絵画作品を基になるべくその絵に忠実に刺繡を施していきました。もちろん、まったく同じというわけにはいきませんが、でいきるかぎり同じ色の糸を使っての刺繡です。このくらいの大きさの作品になると大体一ヶ月ぐらいかかりますが、糸を取り寄せるともう少しかかることもあります。

Eko Nugroho "Nowhere is My Destination", 182x88x78cm, mixed media, 2019

《彫刻作品” Nowhere is My Destination”について》
AFG:
展覧会コンセプトとなっているこの作品、移民の自由への渇望と、見通しの見えない現実の過酷さや異国で生き抜くなかで喪失していくアイデンティティといった非常に重たいテーマを持っていますね。一方で、作品のテーマに反して、刺繍のポンチョに牛革のマスクと身に着けているものが上質なのが印象的です。この服をきている男性像は、実は知り合いのモデルがいて、農家を営んでいるとか?

detail of "Nowhere is My Destination"

ヌグロホ:
はい、この人物にはモデルがおり、スギチョという名のお百姓さんで近所に住んでいます。彼はいつも米を売るために農作業をしているのですが、痩せた土地から収穫をあげるために、高価な農薬を自費で買わなければならず困っています。日本と違って温暖なインドネシアでは3毛作が普通で、どんどん土地が痩せてしまうのです。そんなある日、彼は政治について語り始めました、もし人々が民主主義を礼賛するのであれば、民主主義は我々の社会の中で混沌としていくだろう、と。スギチョさんが人々を家に招いて「どうぞ、お茶でも飲んで民主主義について議論していってくださいな」などと政治について話しているのは見ていて面白かったです。私はそんな彼の気持ちをこの彫刻に投影しました。人々はそれぞれの文化をもって来て、あらゆる文化のもとに振る舞い、我々はこの像が示すように希望を持ち自由を探そうと試みるのです。

detail of "Nowhere is My Destination"

《マスクと人物の無表情について》
AFG:
マスクについて聞かせてください。あなたの作品に出てくる人物はたいていマスクをかぶっていますよね。マスクや隠した顔から除く無表情で冷めた眼差しも非常に印象的です。設営中の会話の中ではこれら無表情な人々に関して、あなたは情報過多になった社会におけるコミュニケーションレス、といった別のテーマも内在していることを示唆してくれましたね?個人的には何も考えていないようなこれらの表情と眼差しが東京の通勤電車に乗る人々の光景とダブるように思えました。

detail of Eko Nugroho "Nowhere to Nowhere" (200x150cm, ecoline on paper, 2019)

ヌグロホ:
彫刻がかぶっている皮のお面については、実はインドネシア伝統の影絵の人形劇と関係しています。このような皮細工をつくる職人技を見せたいとも思いました。人々の間に存在する境界は、この作品ではトランプを揶揄して「ヒューマニズムをもう一度偉大に!」と描かれています(笑)。最近では人々のコミュニケーションのとり方が偏ってきており、直接向かい合って相手の話を聞いたり、意見を述べたりする機会が減っているような気がします。お面というかマスクで表現したかったのは、貴方が指摘してくれたように単にうつろに視ているというか、意味のない視線ということです。これらのビビッドな色は、民主主義が容認する多様性を表しています。

installation view of mural "Nowhere is My Destination" at Art Front Gallery

《壁面作品について》
AFG:
今回のために特別に描いてくれた大作、賞味二日で仕上げてくださいましたね。さきほどまでの色の洪水のような作品展示とは対照的に、壁絵はモノクロームな空間が広がります。こちらの壁絵に関してはモチーフの端々に非常に日本を意識しているのを感じます。お盆をもって日本の定食のような料理を持っているのも印象的です。

installation view of mural "Nowhere is My Destination" at Art Front Gallery

ヌグロホ:
与えられた壁面に戸外で描くのは基本的に好きですね。瀬戸内のようにそれぞれの土地でそれぞれのエネルギーをもらって描きます。私自身は何度も日本に来ているのですが、今回はなるべく日常的な風景を取り込もうとしました。たとえば「ガチャポン」は、その日の運勢を占う意味で面白いですね。小さなフィギュアが出てきたりしてね。富士山への信仰というか思いが日本人でとても大きいのは、とても印象的です。日本人は自分たちの文化的なアイデンティティをしっかり守ることに長けていると思います。一方で私たちインドネシア人は多くの国からたくさんの文化を寄せ集めてきましたが、最近は人々が様々な文化のもとに頻繁に行われる祝い事に対して不安や怒りを感じ、ある種の「恐怖症(phobia)」に陥っているようにも感じます。

また日本では何でも載せられるお盆の文化があり、片方の手にお皿、もう一方にはドリンクという若いインドネシア人とは随分違っています。でもこれらの絵に描かれた風景は自分にとっては永遠の場所性というか彼の地、天国のようなところを意味しているのです。

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