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光を追い求めてー作家に訊く

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光を追い求めてー作家に訊く

2022年9月2日~25日

現在開催中の《内倉ひとみ個展:Lumière》は、作品を通してこれまでの作家の軌跡をみせています。それぞれの仕事にこめられた作家の意図を、作品解説のかたちでご紹介いたします。

日程 2022年9月2日~25日
営業時間 水・木・金曜日 12:00-19:00 土・日曜日 11:00-17:00
作家在廊日  9/23, 24, 25 (いずれの日も午後在廊)

光との出会い


1993年にいきなり光に出会ったのですが、その前は20歳代後半で超少女と命名され、東野芳明さんが推してくださり、大胆で華やかな色のおおらかな作品で取り上げられました。多くの発表機会に恵まれ激しく制作しながら、自身と作品の間に違和感を覚えるようになりました。厳しく自身をみつめ分析した結果、教育され勉強した上の常識で成り立っていてる作品であることがわかりました。だから自分が突き詰められないんだ、美術というものを掘り下げていくことができないんだと思いました。自身の人生と共に歩んでくれる作品。やはり自分が今生でやるべき仕事に出会わなければ、それを探さなければ、生きている意味も作品をつくる意味もないのではないかと思いました。そして彷徨い探しました。
暗い時代です。子供の時からの習慣ですがアトリエにメモを貼りました。「耐えて我慢して心の成長を待つ」。それを見ながら10年待ちました。その10年の早い時期に突然の光との出会いがありました。1993年のことです。それまでは自分がひとりで全責任をもって作品をつくらなければいけないと思っていたのですが、自分の存在の在り方は周りに囲まれて自分が関係項の中で生きていると知りました。私、作品、社会という3次元のベクトルを持った座標軸のどこに自分のポイントを採るかといった考え方が私を一番発揮し伸ばせる。そういう風に考えるのが私には合っている思考であると解りました。

内倉ひとみ個展:Lumière 2022.9.2-25 アートフロントギャラリー 


アンコールワットでの体験がLumière 制作のきっかけに


光には早いうちに出会ってたんですがそれを形にするのには時間がかかりました。ずっと試行錯誤の連続でした。確か1998年だったか、アンコールワットを訪ねました。アンコールワットの最上階第3回廊に登るのに踏み幅10cm、高さ30cm程の危険な石の階段を登らなくてはなりません。冷や汗をかきながらたどり着いたところは涼しい風が吹く広々とした景色の広がる夢の世界でした。
回廊の壁には浅いレリーフがあって、入道雲の間から射す光があたった時、ふっと動いたように見えたんです。それが何度も起こりました。レリーフの向かいにある欄干越しに入ってくる光が非常に変わった光で、その光と浅いレリーフの仕業で動かないものが動いて見えました。浅くレリーフを創ることによって光の変化をよく拾いそれがアニメーションのようにみえたのではないか。階下の第1回廊にはヒンズー教の聖典のひとつラーマーヤナの物語や乳海攪拌の物語の佳境の場面が彫られたレリーフがあります。きっと同じように動いて見えたに違いない。アンコールワットは須弥山を造ったのだと言われています。古の王は壮大な自然と造作物とによるパラダイスを作ろうとしたのではないかと思ったんです。私にその光が見えたのは、普段からデリケートな光を拾う習慣があったからではないかと思います。1993年の光との出会い以降、アンコールワットでの経験、そしてその7年後の京都大原のお寺で、光についての確信を得てこのシリーズが始まりました。

『リュミエール』/紙にエンボス、切抜/各2200×1000


李 禹煥(リ・ウーファン)先生の言葉


私の李先生との強烈な思い出は、多摩美大学院1年の夏休み明けのゼミでのこと。李先生が皆さんどんな夏休みを過ごされましたかとの問いに皆、NYへ行った、ロンドンへ行ったと海外でのカッコ良い体験を語るのに、私は制作に困り果てている話しかできませんでした。制作は大好きでいっぱい作ってはいるが頭がまとまらないという話をしているうち、涙が溢れてしまって。そうしたら先生が「君のアトリエに行こう」といってくださって皆で行きました。先生が私の40個ぐらいはある作品を嬉しそうにご覧になって、「これがパネルだね、パネルに紙が貼ってあるね、その上に絵具を塗ったね、パネルはどうやってできているんだろう?」と笑顔で仰いました。そこで私は初めて、モノの成り立ちから考えることに気づきました。たったそれだけの先生の言葉でまた作る楽しみを取り戻したのです。子供の時からお裁縫、料理などつくることが大好きでしたから。きっと先生は覚えていらっしゃらないでしょうが、私の中では大事な教えとなっています。

『ミラージュ』
12年前から取組んで来たものです。リュミエールを作っていた時にたまたま紙の向こう側にプラスティックの板があり、それが反射して鏡のように見えたんです。また家の前に森があって樹々が風に揺れるとその間から空がチカチカみえるんです。それらのイメージを作品化しました。アクリルミラーにどうやって仕込むか、接着はどうするかとか。若い時と違い、接着剤の怖さを身に沁みているし… 大変技術の高いパリの印刷屋さんへ通って試作してみましたが、できたものは工業的でファインアートのふくよかな感じがなかったんですね。それも頓挫。手が届きそうなのに掴めそうで掴めないミラージュ。ミラージュという名前が悪かったかと。今回の展覧会ではどうしても皆さんに見て欲しくて力ずくで形にしました。じっと見ていると、自分の姿がうっすらと映ってきます。

『ミラージュ2022』/紙にパステル、切抜、アクリルミラー/545×620mm 撮影:長塚秀人

『輝く細胞』
40代の頃に心臓を患うことがあって、大変めずらしい病気だったので田舎の医者には知識不足だったようです。苦しかった私は、東京の医者の友達に相談してみて検査したところ、入院して即手術となりました。集中治療室で隣に寝ていた人たちが次から次へと亡くなり、入れ替わる様を目の当りにしながら、同じく死の瀬戸際に居た私。命の終わりはとてもシンプルな事だと知りました。襖を静かに開けて向こうの部屋に行くだけ、そういう感じなんだなと思いました。美術をやる醍醐味は「生き」「死に」に関わること、生きている意味について関わってこそと学生の頃から思っていましたが、周辺を彷徨くばかりで踏み込むことはできず、この時にはじめて解かりました。そしてこの形が生まれました。生きているとはこういうことだと思いました。レンズの1つ1つが触覚みたいなもので細胞の間を空気が流れるような、そういう形になっています。
この制作過程は大変複雑です。原型をつくりFRPを張り、固まったところで中の原型を取り出す。そして張り合わせ接着して整える。レンズに合わせてジグソーでくり抜く。まぁ、長い作業ですから企業秘密もありこの辺で割愛します。革を使っているのは生き物の姿を作っているからです。最初日本の牛の革を使っていたんですが、マーブルチョコみたいになってしまって、なんか違う。馬の革(茶色)とか山羊の革(青)などのこれらの上質の革を入手できたのは、パリの画廊のムッシュが近くのエルメス本店にいって、どんな種類の革が好きか見てこいというので行ってみました。さすがに美しい革製品揃い。パリの中心にエルメスの革の問屋さんがあって、そこにムッシュと一緒に訪ね、私が選ぶ、そしてお勘定。そこでムッシュの出番、普段から買ってるんだからもっと下げろ!と高圧的に出て必ず負けさせます。さすが画商さん。フランスでは大変よく売れている作品です。

『輝く細胞』 / FRP、鏡、凹レンズ、革 / 2022

『光の杯』
光の聖杯というと日本ではちょっと大袈裟に聞こえるので、光の杯(さかずき)と名付けました。1993年にガラス屋さんから廃棄処分するという鏡を貰って来て、特段の目的はなかったんですがアトリエの端に積んでおきました。ある日ふと見上げると、私のアトリエは、美しい光の粒のシャワーで覆われていました。死んだかな、あの世かなと思うほどの未体験の空間になっていました。私は下ばかり向いて作品をつくっていたのできっと何日も気づかずにいたのです。それを形にしていこうと思ったわけです。太陽光は丸いので反射光は丸くなります。大きな鏡の破片からはしっかりとした強い光の反射光。小さい破片からは弱い光の反射光が映し出されます。支持体は1ミリのアルミニウムに焼き入れをして鍛造したものです。その上に2ミリの鏡を貼り付けています。プラスターで目地埋め。台はけやきの刳りものです。ライティング。光源の種類は重要になります。

『光の杯 2022-14』/アルミニウム、鏡、欅(台座)/345×1000×1000/2022

『リュミラーグランデ』
凹フレネルレンズにミラーメッキを施したものを窓辺に置いておいたらグッと虚像が浮いてきたんです。なにげなく側にあったウイスキーのボトルを真ん中に載せてみたら、琥珀色の虚像が浮いたのです。これは面白いと思い、ウイスキーの瓶をポリエステル樹脂成形に置き換え、上から当たっていた光をボックスの中に仕込み、虚像が浮かぶようにしました。

『リュミラー グランデ』/ポリエステル樹脂、フレネルレンズ、鉛シート、木、蛍光灯4W/各280×450×460/1999

『月の雫』
銅を鍛造し構成して、銀メッキ後にラッカーでコーティングを施しています。元はと言えば、貴社のTさんに内倉さん金属やらないの?と言われ、紙の私にいきなりそんなことを言われてもと思ったのですが、何回か試行錯誤を繰り返しているうちに材料が自分のものになっていくというか、この材料と仲良くする自信が生まれました。夏の明け方近くにクモの巣がいっぱい張られている。少し明るくなった頃キラリと光る夜露、その美しさに我を忘れて私達は惹かれます。そういう我を忘れる体験はとても大事です。私達の日常はいろんなことに縛られて煩わされています。実は、忘我の瞬間こそ我の魂に出会っている時だと思うんです。最初は私の作品をみて綺麗すぎるとかインテリアじゃないの?美し過ぎるものは美術作品ではない等と言われたこともありますが、私としては常に美しいものをつくりたいと思っています。

『月の雫』/銅に鍛造、銀鍍金、ラッカー/2020

『エチュード』
実はこれは『リュミエール』を作る時に、落ち着かない心持ちでやっているとブスっと穴を空けてしてしまうんです。ボツにするのが残念で、ハサミで切っていましたらこういうものが出来てきました。支持体の細工が表から見えないように工夫しています。ホテル・オークラに170室分納品した時には額屋さんが「出前箱」を輸送用につくってくださり、何回かに分けて納品しました。共に苦労することができる人々は大切な仲間です。
那須の整骨院の先生がホテル・オークラに泊まった時に心惹かれる作品だなと思ってサインを見たら「Hitomi Uchikura」と書いてあって、驚いて客室係の人に「これ、僕の患者さんなんだ」とおっしゃったそう。その日は寝られなかったそうです(笑)。

『エチュード』 / 木製パネル、紙にエンボス、切取 / 各280×280×35 / 2020

『光のおはなし』
フランスとスペインの国境のArles sur Tech(ピレネー山脈の中の村)に滞在した時にこの作品をつくりました。村役場にはEUの旗とフランス国旗、そしてカタルニアの旗が掲げられていました。サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼の宿場でもあり、6世紀の教会があって。それからフランス、スペインと戦った砦があり、時代の痕跡が混在する素敵な村でした。もちろん人々も。とにかく光が美しかった。どこかでマルチプルというか、出版というのかわかりませんが形になると出来たらいいなと思っています。この作品は非売です。

『ひかりのおはなし』/紙、パンチ、ベニヤ/258×417×300/2012 撮影:長塚秀人

音楽が音を楽しむ、文学が文字の積層からイメージに訴えかけるように、私は見ることを楽しむものを作っていきたいと思います。

撮影:明記のないものは野口浩史






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