展覧会Exhibition

村山悟郎 × 井村一登 <重複するイメージ>

  • 村山悟郎 × 井村一登 <重複するイメージ>

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村山悟郎 × 井村一登 <重複するイメージ>

2022年5月20日(金)- 6月12日(日)

このたびアートフロントギャラリーでは、村山悟郎井村一登の二人のアーティストによる展覧会を開催します。


寄稿:
鷲田めるろ(十和田市現代美術館 館長)
畠中実(NTTインターコミュニケーション・センター [ICC] 主任学芸員)
日程 2022年5月20日(金)- 6月12日(日)
営業時間 水~金 12:00 - 19:00 / 土日 11:00 - 17:00 / ※5月20日は12:00-17:00まで一般公開となります。 ※17:00以降はご招待制となりますのでご注意ください。
休廊日 月曜、火曜日
村山悟郎 在廊 5月20日(金)、21日(土)は13:00-17:00
井村一登 在廊 5月20日(金)、21日(土)、22日(日)
協力 Takuro Someya Contemporary Art
村山悟郎と井村一登は共にアートフロントギャラリーでは初めての展示となりますが、自然界に内包される秩序を可視化するという点で、互いに緩やかに通じるところがあるように思われます。
村山悟郎は、自己組織的なプロセスやパターンを、絵画やドローイングをとおして表現しているアーティスト。既に描かれた要素に触発されながら次の一手が紡ぎだされる制作プロセスは、絶えず生成と分解を繰り返す生命的なパターンを想起させます。タンパク質の構造や貝殻模様など、生命が組織化することで生み出される線が作品を支えているようです。
2019年の瀬戸内国際芸術祭では、男木島の浜口邸にて壁画作品《生成するウォールドローイング-日本家屋のために》を発表。築90年の古民家の内壁を埋め尽くす植物のモチーフは蔦のように生長しました。今年4月14日から始まった瀬戸内国際芸術祭春会期では、現地制作を含め新たな作品が加わっており、代官山のギャラリー展示では芸術祭と連動した作品の発表を予定しています。

井村一登は、ハーフミラー、球体鏡、LEDなどを用いて視覚や認識に関わる光学的な作品を制作しています。近年は鏡の歴史を紐解き、鏡の素材や技法を再構成することで「自分が映らない」鏡を手掛けるほか、様々なマテリアルを用いて制作の可能性を拡げています。
作品発表の場についても、瀬戸内国際芸術祭2016内のプログラムでは京都造形芸術大学城戸崎和佐ゼミ設計の『竹の茶室』に作品を設置したほか、近年は製薬会社やホテルなどにその土地の素材やテーマから制作したコミッションワークがコレクションされており、生活に分け入った場所に輝きを与えています。2月に行われたマツモト建築芸術祭ではまつもと市民芸術館の階段に沿って、和田峠の黒曜石を素材とした鏡を展示し、建築家伊東豊雄の設計と軽やかに調和する空間を創り出しました。

情報技術や自然環境と絡み合う二人のアーティストのチャレンジを、ぜひご高覧ください。


村山悟郎 Goro Murayama


■略歴・賞歴
1983 東京生まれ
2015   東京藝術大学美術研究科博士後期課程美術専攻油画(壁画)研究領域修了
2015-17 文化庁新進芸術家海外研修員としてウィーンにて滞在制作
2010 shiseido art egg 賞(資生堂ギャラリー)を受賞

■主な展覧会
2022 瀬戸内国際芸術祭 男木島 / 香川 (’19)
2022 Drawings – Plurality 複数性へと向かうドローイング〈記号、有機体、機械〉
PARCO Museum TOKYO / 東京
2020 個展 Painting Folding Takuro Someya Contemporary Art / 東京
2019 あいちトリエンナーレ2019 情の時代 / 愛知
L’homme qui marche Verkörperung des Sperrigen, クンストハレ ビーレフェルト
  The Extended Mind, Talbot Rice Gallery at University of Edinburgh, スコットランド
21st Domani 明日展 国立新美術館 / 東京
2011  個展 成層圏vol.6 私のゆくえ 村山悟郎 ギャラリーαM / 東京
2010  第4回shiseido art egg「絵画的主体の再魔術化」資生堂ギャラリー / 東京
2009 MOTコレクション・MOTで見る夢 東京都現代美術館 /東京

《生成するドローイング-日本家屋のために2.0》瀬戸内国際芸術祭2022 男木島Photo: KIOKU Keizo 瀬戸内国際芸術祭2022

ドローイング - カップリング[杢目とセルオートマトン](部分)2022 ©Goro Murayama 

村山悟郎作品によせて——

鷲田めるろ(十和田市現代美術館 館長)


 2019年の瀬戸内国際芸術祭(以下、「瀬戸内」)にアーティスト選考アドバイザリーボードとして私は、村山悟郎を推薦した。村山は男木島の古民家の内部に壁画を描いた。同じ年、あいちトリエンナーレ(以下、「あいち」)のキュレーターでもあった私は、村山に出品を依頼し、美術館の展示室内で新作のパフォーマンスとインスタレーションが生み出された。  
 
 二つの作品が同じ作家によるものだと気づける人は少ないだろう。あいちでは、テーマである「情の時代」への応答として、最新の情報技術「歩容認証」をテーマとした。人が歩く姿から個人を特定するという開発途上の技術を使いながら、逆に監視装置に特定されないような不規則な動きを生み出した。その動きがダンスとなった。歩みを刻む「行進曲」のドラムのリズムが崩れてゆく。背景から人物像を切り出しやすいグリーンバックの布を基調に、電波レーダーや赤外線による認知を撹乱する「デコイ」を配したインスタレーションとなった。 
 
 最先端の科学実験のようにも見える身体的なあいちでの作品に対して、瀬戸内での壁画は対極的だが、このドローイングの重要なポイントは「自動化」にある。作家自ら設定したルールに沿って描かれている。村山以外にも十名以上がこの島に滞在してルールに沿って描き、網目のような線が増殖していった。あいちの作品における機械による認証も、認知の「自動化」である。この点で二作品は繋がっている。  

 もう一つの共通するポイントは、「自動化からの逸脱」である。エラー、ノイズと言い換えても良い。機械が捉えきれない部分に目を凝らすこと、機械の裏をかくことがあいちの作品の核心だった。瀬戸内の作品も、ルールは定めつつも、描く人の選択の余地が残されており、それによってランダムさ、不確定性が持ち込まれている。そう、対極に見える二つの作品は、通底しているのだ。   

 瀬戸内の家屋の中には、貝殻が置かれている。それは、自動的に生成される線や図形が、自然が生み出す形態と繋がっていることを示している。すると、あいちの作品における認証システムもまた、新たな自然と言うことができるのだろうか。  

 作家の中で一貫したテーマが、全く異なる文脈で、異なる見え方をする作品として現れることは、優れた作家の特徴だと私は考えている。その幅が広ければ広いほど、魅力的な展覧会がつくれるだろう。村山は十分にその素質を備えている。



井村一登 Kazuto Imura


■略歴・賞歴
1990 京都生まれ
2015 京都市立芸術大学総合芸術学科 卒業
2017 東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻 修了
2021   NONIO ART WAVE AWARD 2021 名和晃平賞

■主な展覧会
2022   マツモト建築芸術祭 まつもと市民芸術館 / 長野
Sense Island - 感覚の島- 暗闇の美術島 2021 猿島 / 神奈川
DESIGNART TOKYO 2021 サルヴァトーレ フェラガモ 銀座本店 / 東京
2021   井村一登展 mirrorrim 日本橋三越本店コンテンポラリーギャラリー / 東京
2018 “交叉域” 中日芸術家交流展 蘇州金鶏湖美術館 / 中国
2017 京都国際映画祭 - アート部門 元・立誠小学校 / 京都
見立てと想像力 千利休とマルセル・デュシャンへのオマージュ展
(ニュイ・ブランシュ KYOTO 内プログラム) 淳風小学校 / 京都

《wall-ordered L-shaped》(部分)2021、Photo by Kenryou Gu

重複するイメージ展によせて——

畠中実(NTTインターコミュニケーション・センター [ICC] 主任学芸員)


 自分の姿を自分で直接見ることはできない。それを見ることができるのはつねに他者であり、他者が見ているものを見ることはできない。鏡は、古くは水鏡のように、自己を認識することを可能にした装置である。はじめて鏡に映った自分の顔が自分であると認識した時の記憶はすでにないが、いつしかそれが自分の顔であること(自分の顔がだいたいどのようなものであるか)は学習され、記憶にインプットされてきたのだ。とはいえ、その記憶と自身の変化との間にギャップが生じれば、またはじめて鏡を見た時のような気持ちが蘇る。鏡とは、そうした自己再認識のフィードバック・システムなのだと思う。合わせ鏡の中にループするイメージが、どこまでも行き着くことのない底へと、現在との微細な時間の差異を持ちながら無限に反復していくように。 

 鏡の前には、つねに鏡像としての対象が映し出されていた。鏡そのものを描くことは、鏡に映った像を描くことと同義でもあるように、それは光を反射する厚みのない表面である。しかし、映される対象を欠いた鏡とは一体なんだろう。鏡は機能としての名称であり、物質としての名称とはとらえられていないのではないか。井村一登が鏡の素材であったガラスと金属を用いて制作した、その複合体となった塊状の鏡である《mirror in the rough》は、材質としては鏡だが、その中で光は乱反射し、対象を映しだすことはない。鏡に映ったイメージが厚みを持たない、しかし、その塊の中に奥行きのない空間を孕んだものであるのにたいして、井村の作品はその中に光と空間を封じ込めたオブジェのようだ。 

 自身を映さない鏡は、近年、ヴィデオ・チャットで自分の顔を見るのに慣れた(見飽きた)私たちに、いまいちど鏡というものがなんであるのか、その魅力を感じさせる。ハーフミラーと自作した鏡によって作られる《wall-ordered》のシリーズでは、合わせ鏡の閉じられた空間の中で、イメージが反復しながらある秩序が生み出されていく。額というよりは、やや奥行きの深い箱状の作品は、映す対象を持たず、鏡が鏡を映し出している。その内部に幾何学的な法則を発生させ、小宇宙のようなヴァーチュアルな空間が生成される。そこで視線は《mirror in the rough》と同様に、その間に重層化する空間の深い闇の中に沈んでいく。 


 村山悟郎は、作品が作られていくプロセスに複雑で生命的な挙動をもたらすシステムを導入しようとしてきた。それは、作品を完全に作家の管理下に置くのではなく、作品の成立過程に有機的な生成変化をどのようにもたらすことができるかを、偶然性や再帰性を持った制作方法によって乗り越えようとするものだ。制作をシステムに委ねる脱作家中心主義ではなく、むしろ、システムを基盤としながら、作家の手業もまた、ひとつの変数として作品に影響していくのである。村山は、あるグリッド状に並んだセルの状態が、その近傍のセルの値によって変化し、その変化の連鎖がどのような状態の変化をもたらすかを計算するモデルである、セル・オートマトンを参照して、ある意味では人力コンピュータとなって、演算プロセスを作品に反映する。また、スティーブン・ウルフラムが定義したセル・オートマトンが到達する4つのタイプのうち、クラス4と呼ばれる周期的なパターンとカオスなパターンが複雑な挙動をしめす、生命現象から自然現象までの複雑な現象の根源であり、複雑系科学の基礎とされる状態に着目し、壁画として実現した。 

 村山は、コンピュータ・シミュレーションをモチーフにした、ドローイング、ペインティング、織物、といったさまざまな形態の作品を作家の手作業によって制作している。そうしたシステムを参照しつつ、制作プロセスを外部システムに委ねながらも、作家の関与としての手仕事、あるいは支持体や素材が変数や条件となって、さまざまな偶然が作品に結果することになる。また、村山の作品の印象づけるその絵肌も作家の追求してきたものでもあり、作家の重複した方法論をうかがわせるものでもあるだろう。それは、一方で、村山がパフォーマンスにおいて、システムに抗う身体を表現してもいることと関係があるのかもしれない。














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