展覧会Exhibition

栗林隆 : 出部屋
福島第一原子力発電所の横の海にて / 2012 / 撮影:志津野雷

  • 栗林隆 : 出部屋

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栗林隆 : 出部屋

2019年9月6日(金) - 29日(日)

この度アートフロントギャラリーでは、4年ぶりとなる栗林隆の個展を開催致します。
日程 2019年9月6日(金) - 29日(日)
営業時間 11:00 - 19:00 (月、火休)/ 9月6日のみ18:00-20:00
レセプション 2019年9月6日(金) 18:00-20:00 ※どなたでもご参加いただけます
栗林隆(1968年、長崎生まれ)は武蔵野美術大学造形学部日本画科を卒業後、渡独。10年以上をドイツで過ごし、アーティストとしての足場を固めた。日本へ戻ると数年のうちにインドネシアへ渡り、現在はジョグジャカルタをベースに、日本をはじめ世界各地で活動している。

栗林は、東西に分かれていた歴史をもつドイツ滞在の影響もあり、「境界」をテーマに様々なメディアを使いながら制作を続けている。国境や水平線などの物理的な「境界」だけでなく、われわれの頭の中にある既成概念にしばられた見えない「境界」など、様々な視点から物事の異なる側面を喚起させ、提示する。その作品は、普段見えるものと、その裏側の見えない領域とを入れ替え、日常生活では覆い隠されてしまっている出来事・領域・思考・歴史・視点を顕在化させるかのようでもある。

2015年のアートフロントギャラリーでの展示では、「Deadline」と題し、代官山に津波がきたと想定した場合に、津波が残すマーキングラインを長崎、広島の爆心地の土、福島第一原子力発電所近郊の津波の被害を受けた場所の土で描いた。東日本大震災の際に、避難区域の線が引かれるという、未だかつてない強力な「境界」が生まれたとして、現地のリサーチ制作を継続している。その実践として昨年は福島県で開催された清山飯坂温泉芸術祭にも参加した。

また、2018年フランスのPALAIS DE TOKYOで開催された展示では、7,000枚以上のマジックミラーで作られた6mの高く聳え立つ3本の木のインスタレーション作品《The connection between the sea and the sky》を発表。筒状の木の中に入り見上げると、水中から見上げた福島・逗子・インドネシアの空の写真がそれぞれに見える。地域の「境界」、水と空の「境界」入口と出口の「境界」など様々な「境界」を感じさせる作品であった。栗林は作品制作において「常に対比性を考えている」と語っている。美しさと危険、現実と非現実の世界観、それらの対比がうみだす「境界」。栗林が見出した対比性によって浮かび上がる「境界」で再定義された世界を見たとき、私たち鑑賞者は固定概念を覆させられ、新たな気付きに導かれるのかもしれない。

栗林はこの秋、瀬戸内国際芸術祭への参加が決まっている。展示の舞台は、伊吹島にある「出部屋(でべや)」と呼ばれる産院跡地。島の風習で女性が出産前後1ヶ月を女性だけで集団生活していた独自の文化を象徴する場所である。そして島の多くの人々が産まれた場所、お産という命の境界線を象徴するような原点の場所である。

その瀬戸内での展示を控えた9月上旬、アートフロントギャラリーでも「出部屋」をテーマに個展を開催する。ここでは、栗林自身のアーティストとしての存在への問い、近年思考を巡らせている心の庭を育む「にわし」としての試みなど、アーティスト・栗林隆にとっての生まれる場所「出部屋」を展開する予定だ。

バスク地方の海にて / 2012 / 撮影:志津野雷



出部屋 —命の境界線−
何かが生まれる場所が境界
家村佳代子 (インディペンデント・キュレーター、一般社団法人 CARD 代表)


若き日にドイツへ単身飛び立った栗林は、一つの問いに向き合うことになります。「お前は、誰か?お前は、何者か?」師から投げかけられるこの質問に向き合った日々が、アーティスト栗林隆が生まれてくる境界となりました。

長崎平戸の海で育った幼少期から様々な水中世界との関わりによって、人間である自分とその世界の間に水面という境界があることに気づいたことは、水面の上下は全く異なる世界であるという身体化された経験となり、彼の“境界”というテーマとなっていきます。壁や天井という境界を超えた裏側の想像もしない世界、日常には気にもかけない見えない領域に想像を超えた世界があることを示唆し、見る人のイメージを拡げてきました。さらに本年10周年を迎えるYatai Trip Projectで、国・民族・住まうことが可能な境界線を実際に旅することで、地球には国という線引きすらもないことを実感できる作品へとつながっていきます。

そして境界を思考し続けて来た栗林の前に立ち現れた、福島第一原発事故による立入禁止区域という問題。とてつもない長さで続くしかも見えない境界を前にして、時間の流れを反転し、紡いでゆく道を探り始めます。

現れては埋もれる人々の言葉に、自然の絶え間ない動きの中に、長い長い時を超える可能性を希求し、栗林は再び、「なぜ私は作品を作るのか?なぜ私はアーティストであるのか?」という問いに向き合うことになります。ジョグジャカルタを拠点とし世界をまたにかけ活動する「アーティスト」となる中で、再び現れたこの葛藤は、より世界に目を向け、より多くの矛盾を感じる様になったことによるのだと思います。しかし、これは自分の存在を、自由にそして素直に見つめ直すことで終わりのない旅に勇気を持って向かうということを意味します。

「都会に育つ多くの子どもたち、現代に生きる若者たちの心に水を与え、自分というタネを、芽を育てる意識を育てる。不安しか与えられない社会の中で違う価値観を与えてくれる」そんな心の庭を育てる「にわし」になっていくことに至ります。

9月末にスタートする瀬戸内国際芸術祭2019秋会期では、伊吹島の400年に渡り女性がお産前後の一月ほどを過ごす場所としていた“出部屋”に強く引かれ、そこで制作・展示します。30億年の生命記憶を受け継ぎ、赤ちゃんは生まれてきます。それは変化する地球の中で続いてきた生命のかたちと記憶です。お産は、かけがえのない命の境界線です。ここで制作される「伊吹の樹」には、万華鏡の様に、このいのちの記憶が光となって根っこから映り込みます。この島が彼の母親の生まれ故郷でもあったことは、見えない糸がたぐり寄せたのでしょうか。

アートフロントギャラリーにて行われる本展は、この栗林の自身の存在への問い、心の庭を育む試み、そして自由ないのちというものが交差する出部屋と言えるでしょう。人新世とまで呼ばれる時代に、埋め込まれた種子の成長と生死の過程によって現れる変化は、アーティストの思惑と境界を超え、“コントロールされていない、コントロール不可能な”Uncontrollableな境界を作り出していきます。












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