展覧会Exhibition

阪本トクロウ - 偽の真空
フロート / 1000 x 1000 mm / アクリル・岩絵具・高知麻紙

  • 阪本トクロウ - 偽の真空

サムネイルをクリックすると、拡大表示します。

阪本トクロウ - 偽の真空

2018年 9月 14日(金) - 10月 14日 (日)

この度アートフロントギャラリーでは、阪本トクロウの個展を開催致します。

アートフロントギャラリーでは2016年以来、2年ぶりに阪本トクロウの個展を開催します。阪本は東京藝術大学で日本画を専攻した後さらに日本画塾で研鑚を積み、自身の見た日常の風景をベースに作品を作ってきました。自ら撮影した写真をベースに再構築したペインティングは一見どこにでもありそうな風景でありながら、その独特な構図と人の気配を感じさせない不思議な空気感を内包しております。素材として撮りためた膨大な写真は阪本独自の視点で取捨選択され、静謐で時に遠近感の中に移動のベクトルを感じさせる作品に再構築されていきます。また自身も影響をうけたという浮世絵を髣髴とさせる、遠景と近景の大胆なレイヤーも阪本作品の魅力のひとつです。

2年前のアートフロントギャラリーでは普段気に留めないような建物の外壁や床、会議室のような無機質な室内をモチーフに選び、また直近の制作活動では「模様」をテーマにした一見抽象絵画のように見える作品を発表してきました。展覧会タイトルを物理学の専門用語である「偽の真空(False Vacuum)」と銘打った今回の個展では、ほとんど安定した「真空」状態の内面の中に僅かに存在する揺らぎや不均衡、緊張を風景に投影した新作を発表します。それは空に浮かぶ雲であったり、水面に透けて映る鯉であったりと一見「何もない」風景のようですが、阪本が「辛うじて均衡を保っているのですが、そのギリギリのところ」で決めたという構図からは、絶対的な安定ではない緊張感をもった状態であることも同時に感じられます。またモチーフとなる平穏な日常の風景に介在する、災害やテロなどが起きればあっけなく崩れてしまう脆さについても阪本は思いを巡らせます。永遠に続く日常のように思えるときもあれば、準安定状態の日常に思えるときもある、危機が対岸のどこかのお話ではなくなってきた日本に存在する微妙な感情風景。この度のアートフロントギャラリーでの阪本の新しい視点をご高覧ください。
日程 2018年 9月 14日(金) - 10月 14日 (日)
営業時間 11:00 - 19:00 (月、火休)
レセプション 2018年 9月 14日(金) 18:00~20:00
関連企画 墨流しワークショップ in 猿楽祭/※終了しました10. 7(日) and 8(祝) 13:00/15:00/各回6名ほど/参加費1,000円/要予約/詳細は猿楽祭ウェブサイトをご覧ください .
http://sarugakumatsuri.com/detail.php?pid=1395&categ=3
作家在廊日 9月22日(土)、30日(日)、10月13日(土)いずれも15:00-19:00

the wall, 1940 × 5212 mm , アクリル・岩絵具・高知麻紙 , 2018


 明治神宮外苑にある絵画館前の道路は、現存する日本最古のアスファルト舗装である。1926年竣工。細かいひび割れが目立つが、驚くほどなめらかでしっかりしている。訪れるたびに、ぼくはしゃがみ込んでその表面を触る。
 土木構造物を専門に撮るぼくが、阪本トクロウ作品のファンになったのは「呼吸」シリーズを見たときだ。道路、空を横切る電線の曲線、鉄塔、駐車場。こういう写真をぼくは撮りたかったのではないか、と思った。

呼吸, 910 × 910 mm , アクリル、雪肌麻紙 , 2012/2018


 原理的に、写真はレンズと被写体との間に距離を必要とする。どんなに接写しても、ゼロにはならない。つまり写真はどうしたって眼の産物だ。しかし絵画はそうではない。絵は触れなければ描けない。筆が画面に触れた軌跡の記録、それが絵画と言えるかもしれない。画家は対象に触れている。たとえそれが空であっても。
 たとえば、ぼくはトクロウさんの描く道路にとても惹かれる。一見、全くムラのないアスファルトの色と白線に、画面の分割だけが見所だと思われるかもしれない。しかしぼくにとっての快感は近づいた時に現れる色面の肌理だ。いわゆるマチエール。ここに、ぼくにとってのトクロウ作品の快感がある。もちろんこれは本来のアスファルトのテクスチャの再現ではない。道路がトクロウさんによってどう「触れられた」かの跡なのだ。ギリギリまで切り詰められた構図は、筆の接触の快楽にぼくらを引き込むためのものに思える。
 アスファルト舗装は、実は何層もの構造を持っている。表層の下に、基層、上層、下層、といった層があり、これはちょうど絵を描くための下地処理に似ている。日本画の下地に使われる胡粉の原材料は貝の殻だが、これは成分的にセメントと同じだ。まさに「施工」しているわけだ。
 このようにして画家は地面に触れ、水面に触れ、空に触る。トクロウさんの絵を見るたびに、ぼくはその表面を触りたいと思い、ぐっと我慢するのである。

大山顕(フォトグラファー、ライター)
               

トップに戻る