展覧会Exhibition
アデル・アブデスメッド : Play it Again
2020年3月17日(火) – 6月7日(日)
この度アートフロントギャラリーでは、アデル・アブデスメッド の個展を開催致します。
■テキスト:パセティックな日常
南條史生(キュレーター・美術評論家 / 森美術館前館長)
【新型コロナウイルス感染予防ご協力のお願い】
・お客様の連絡先(お名前、ご連絡先)を頂戴しております。
・発熱や咳、だるさなどの症状があるお客様は、ご来廊をご遠慮いただきますようお願い申し上げます。
・ご来廊時に、非接触の体温計にて体温測定をさせていただく場合がございます。
・マスクの着用と、ご来廊時に入口で手指のアルコール消毒をしていただきますようお願い申し上げます。
・ギャラリー空間内が混雑した場合、入場制限をする場合がございますのでご了承ください。
定期的にギャラリー内の換気を行います。スタッフは毎日の検温、手洗いや消毒を徹底いたします。なお、接客時もマスクを着用させていただきます点をご了承ください。
■テキスト:パセティックな日常
南條史生(キュレーター・美術評論家 / 森美術館前館長)
【新型コロナウイルス感染予防ご協力のお願い】
・お客様の連絡先(お名前、ご連絡先)を頂戴しております。
・発熱や咳、だるさなどの症状があるお客様は、ご来廊をご遠慮いただきますようお願い申し上げます。
・ご来廊時に、非接触の体温計にて体温測定をさせていただく場合がございます。
・マスクの着用と、ご来廊時に入口で手指のアルコール消毒をしていただきますようお願い申し上げます。
・ギャラリー空間内が混雑した場合、入場制限をする場合がございますのでご了承ください。
定期的にギャラリー内の換気を行います。スタッフは毎日の検温、手洗いや消毒を徹底いたします。なお、接客時もマスクを着用させていただきます点をご了承ください。
日程 | 2020年3月17日(火) – 6月7日(日) |
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営業時間 | 水~金 12:00-19:00 / 土日 11:00 - 17:00 ※短縮営業(月、火および4月8日-5月28日 休廊) |
レセプション |
アデル・アブデスメッドは現在欧州を活動拠点としている重要なフランスのアーティストです。
1971年アルジェリアに生まれ、リヨンのボザールで学んだ頃からビデオ作品を発表し始め、日常に潜む暴力や戦争の悲惨さなど私たちが生きる現代に鋭いメスを入れる作品を多様なメディアで制作しています。これまでヴェネチア・ビエンナーレに4回選ばれ、2007年にはネオンと有刺鉄線を使ったミニマルな2つの作品でベネッセ賞を受賞しました。
日本では横浜トリエンナーレ(2001)、あいちトリエンナーレ(2010) に参加し、奥能登国際芸術祭(2017)では主要作家として招かれました。廃駅に停車中の車両を光の棒が貫き、警報機に現れる「ま・も・なく」の平仮名が始まりを予感させました。翌年の越後妻有アートトリエンナーレでは、使われなくなった納屋にLED光がアクリル管を通して差し込み、竹林と連動した尺八の音が流れるなど音も使ったインスタレーション「ゴーストダンス」が注目されました。
この3月に開幕するいちはらアート× ミックスでも、小湊鉄道五井駅の歩道橋の下にピアノを吊り下げ、自動演奏で「カサブランカ」のワンシーンに出てくるジャズピアノが披露されます。”Play it Again(もう一度聴かせて)”というタイトルが示すように、人間不在でありながら、この駅を出発する芸術祭の来訪者を音楽で送り出す作品が企画されています。
アデルの作品は人間の根源的な苦しみや哀しみを現代的な素材を使って表現したものが多くみられます。過激な戦争の悲惨さを直接的に社会に訴えた作品はCri (叫び、2012) では、ベトナム戦争の最中にアメリカ軍の空爆を逃れるために全裸で走り来る女の子の写真を元に、その瞬間を象牙で凍結させました。アルジェリア独立戦争の政情不安の中で故郷に帰れなくなり、たった一人でアートを作り続けることによって世の中と闘うことを余儀なくされた作家自身と重ね合わせているようです。
ビデオ作品では頻繁に動物が登場し、アラブの春を連想させる鶏が焼かれる作品、Printemps (春)(2013)では動物愛護団体など様々な批判を受けましたが、三方の壁が映像で埋め尽くされ、観る人がその場から逃避できない、逃げずに現状を直視するしかない、という極めて強いメッセージを発信しています。この作品以外にも様々な動物の生態を人間のそれに重ね合わせながら生命が本来持っている残酷さや美しさを作品化しています。
宗教的、性的、政治的なタブーを打ち破り、社会問題や困難な状況に素手で立ち向かうアデル・アブデスメッドの軌跡を、作品やコンセプトのマケットで構成します。ぜひご高覧ください。
南條史生(キュレーター・美術評論家 / 森美術館前館長)
アデルはアルジェリア生まれのアーティストだ。フランス人アーティストとして、登場していることが多い。2001年の横浜トリエンナーレにいち早く登場している。森美術館では開館展(2003)に出展してもらっている。その時には「Happiness in Mitte」と題して、猫がミルクを飲む日常が大型モニターに映し出された。さらにあいちトリエンナーレ(2010)、奥能登国際芸術祭(2017)、越後妻有トリエンナーレ(2018)など多数の国際展に参加してきた。けれどいつも彼の取り上げる素材は身近にあるものである雑多な事物の場合が多い。それは彼が、我々が見ている当たり前の物の中に、我々には見えない啓示を読み取っているからなのではないか。
作品はインスタレーションが多いようだが彫刻や音を使った物もある。今回の展示では、実現した作品のマケットや絵画、素描が展示される。それは彼のアイデアの源泉のようなものではないか。
「Décor」という作品ではコルマル市に所在するマティアス・グルーネヴァルトのイーゼンハイムの祭壇画がテーマになっている。この祭壇画には切り刻まれ、腐敗した悲惨なキリストが登場することで有名だ。彼はこれを有刺鉄線の彫刻で、痛々しい姿で再現した。今年のいちはらアート×ミックスでは、鉄道の駅の歩道橋の下にピアノを吊り下げ「カサブランカ」に登場するジャズをノスタルジックに悲劇的に流している。「Cri」という作品では空爆から逃れようとして逃げ惑うベトナム人少女の裸像を白い彫刻にして、崇高性を垣間見させた。
彼の作品の中にはいつもある種の暴力と悲しみが宿っている。それが彼の生い立ちや、文化的な背景によるものかどうか私は知らない。しかしそれは人間の根源に宿る存在の悲哀、ある種パセティックな感情の結晶のように見える。アートは日常の衣を身にまといながら、そこまで深いものを感じさせることが出来る。アデルは、それを我々に見せてくれる。
1971年アルジェリアに生まれ、リヨンのボザールで学んだ頃からビデオ作品を発表し始め、日常に潜む暴力や戦争の悲惨さなど私たちが生きる現代に鋭いメスを入れる作品を多様なメディアで制作しています。これまでヴェネチア・ビエンナーレに4回選ばれ、2007年にはネオンと有刺鉄線を使ったミニマルな2つの作品でベネッセ賞を受賞しました。
日本では横浜トリエンナーレ(2001)、あいちトリエンナーレ(2010) に参加し、奥能登国際芸術祭(2017)では主要作家として招かれました。廃駅に停車中の車両を光の棒が貫き、警報機に現れる「ま・も・なく」の平仮名が始まりを予感させました。翌年の越後妻有アートトリエンナーレでは、使われなくなった納屋にLED光がアクリル管を通して差し込み、竹林と連動した尺八の音が流れるなど音も使ったインスタレーション「ゴーストダンス」が注目されました。
この3月に開幕するいちはらアート× ミックスでも、小湊鉄道五井駅の歩道橋の下にピアノを吊り下げ、自動演奏で「カサブランカ」のワンシーンに出てくるジャズピアノが披露されます。”Play it Again(もう一度聴かせて)”というタイトルが示すように、人間不在でありながら、この駅を出発する芸術祭の来訪者を音楽で送り出す作品が企画されています。
アデルの作品は人間の根源的な苦しみや哀しみを現代的な素材を使って表現したものが多くみられます。過激な戦争の悲惨さを直接的に社会に訴えた作品はCri (叫び、2012) では、ベトナム戦争の最中にアメリカ軍の空爆を逃れるために全裸で走り来る女の子の写真を元に、その瞬間を象牙で凍結させました。アルジェリア独立戦争の政情不安の中で故郷に帰れなくなり、たった一人でアートを作り続けることによって世の中と闘うことを余儀なくされた作家自身と重ね合わせているようです。
ビデオ作品では頻繁に動物が登場し、アラブの春を連想させる鶏が焼かれる作品、Printemps (春)(2013)では動物愛護団体など様々な批判を受けましたが、三方の壁が映像で埋め尽くされ、観る人がその場から逃避できない、逃げずに現状を直視するしかない、という極めて強いメッセージを発信しています。この作品以外にも様々な動物の生態を人間のそれに重ね合わせながら生命が本来持っている残酷さや美しさを作品化しています。
宗教的、性的、政治的なタブーを打ち破り、社会問題や困難な状況に素手で立ち向かうアデル・アブデスメッドの軌跡を、作品やコンセプトのマケットで構成します。ぜひご高覧ください。
パセティックな日常
南條史生(キュレーター・美術評論家 / 森美術館前館長)
アデルはアルジェリア生まれのアーティストだ。フランス人アーティストとして、登場していることが多い。2001年の横浜トリエンナーレにいち早く登場している。森美術館では開館展(2003)に出展してもらっている。その時には「Happiness in Mitte」と題して、猫がミルクを飲む日常が大型モニターに映し出された。さらにあいちトリエンナーレ(2010)、奥能登国際芸術祭(2017)、越後妻有トリエンナーレ(2018)など多数の国際展に参加してきた。けれどいつも彼の取り上げる素材は身近にあるものである雑多な事物の場合が多い。それは彼が、我々が見ている当たり前の物の中に、我々には見えない啓示を読み取っているからなのではないか。
作品はインスタレーションが多いようだが彫刻や音を使った物もある。今回の展示では、実現した作品のマケットや絵画、素描が展示される。それは彼のアイデアの源泉のようなものではないか。
「Décor」という作品ではコルマル市に所在するマティアス・グルーネヴァルトのイーゼンハイムの祭壇画がテーマになっている。この祭壇画には切り刻まれ、腐敗した悲惨なキリストが登場することで有名だ。彼はこれを有刺鉄線の彫刻で、痛々しい姿で再現した。今年のいちはらアート×ミックスでは、鉄道の駅の歩道橋の下にピアノを吊り下げ「カサブランカ」に登場するジャズをノスタルジックに悲劇的に流している。「Cri」という作品では空爆から逃れようとして逃げ惑うベトナム人少女の裸像を白い彫刻にして、崇高性を垣間見させた。
彼の作品の中にはいつもある種の暴力と悲しみが宿っている。それが彼の生い立ちや、文化的な背景によるものかどうか私は知らない。しかしそれは人間の根源に宿る存在の悲哀、ある種パセティックな感情の結晶のように見える。アートは日常の衣を身にまといながら、そこまで深いものを感じさせることが出来る。アデルは、それを我々に見せてくれる。