展覧会Exhibition

石田恵嗣 : FLOW
〈シーン#004〉955x850x40mm, キャンバスに油彩
〈シーン#001〉2021
〈シーン#001〉2021
size: 955x850x40mm
medium: キャンバスに油彩
〈シーン #003〉
〈シーン #003〉
size: 955x850x40mm
medium: キャンバスに油彩

  • 石田恵嗣 : FLOW
  • 〈シーン#001〉2021
  • 〈シーン #003〉

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石田恵嗣 : FLOW

2021年10月8日(金) – 10月24日(日)

この度アートフロントギャラリーでは、日本で初めてとなる石田恵嗣個展を開催致します。
日程 2021年10月8日(金) – 10月24日(日)
営業時間 水~金 12:00-19:00 / 土日11:00-17:00
休廊日 月曜、火曜
作家在廊日 10月8日(金)、9日(土)、10日(日)※予定は予告なく変更になる場合があります
石田恵嗣は1975年千葉県生まれ。日本の大学卒業後に会社勤めをしていたが30歳を転機に絵を描き始める。美術教育をもとめてイギリスに留学しロンドンのチェルシーカレッジを2009年に卒業。2011年にRCAへ進学し2013年に同校を修了した。その後も二年間ドイツに滞在しながらヨーロッパを中心に作家活動を続けてきた。これまで日本での発表の機会は少なく今回が日本での初個展となる。

石田の描くイメージは一見絵本の挿絵のようなどこか懐かしく素朴な印象を持つが、よく見ると現実には起こりえない不思議な物語性が見てとれる。同時に、画面上には絵画としての色や形、描き方の探求が見てとれ、通常絵本には見られない荒々しい筆跡やドローイングのような線も魅力的である。

石田の絵画の最も顕著な特徴はイメージの並置にある。
一見、ノスタルジックな感じを漂わせる独特なイメージは、イギリス40年代から70年頃までに出版された幼児向けの絵本「Ladybird Books」シリーズや、少年少女向けのコミック雑誌などにそのルーツがある。リファレンスとしている挿絵は、もともと幼児教育の意図のために作られたストーリーに準じて描かれたものだっただろう。しかし石田は、その動きや表情などストーリーにおける状況をそのままに、キャンバスの上に移し替え、そこに、また別のリファレンスからもたらされたイメージ(オリジナルとは違うシチュエーション)を用いこれに並置させる。
この脈絡のない並置が、そのキャラクターと状況に全く異なる物語を生み出すこととなる。脈絡のないもの同士の組み合わせは、主にシュルレアリストが精神分析や無意識を引き出すために好んで用いた手法だが、石田のそれはこれらとは違っている。石田の絵画の中に時折妖怪などファンタジー的な要素が登場することもあるため、魔術的リアリズムの様にとらえられることもあるが、これも違っているといっていいだろう。というのも、上記のどちらもあくまで現実をベースにして、シチュエーションの一致しない異なるイメージ同士の並列を用いてわかりやすい非現実的なイメージを作り出しているからだ。石田のイメージの元はあくまで絵本であり現実ではない。誰かの作り出した何かしらのストーリーや状況をほかのもう一つの切り離された世界感と並列に置き、知っているようで知らない世界を作る。これは、従来の東西の美術や小説よりもむしろアニメや漫画、またはSFに近い、一種のif(もしもの)ストーリーであり、ここにかつてのシュルレアリストとは違う現代性が見てとれる。

もともとのストーリーにおける意味や役割を失ったキャラクターと状況を示唆するイメージは、観る者の経験をもとに全く違うストーリーとして解釈を委ねられる。ある意味オープンエンドな絵画であるといえるかもしれない。そこには、シュルレアリストが求めた不自由な自由(予期された意外性)はなく、作者も意図しない新たな組み合わせと読まれ方が存在するだろう。

今回の個展では、2枚一組の作品を6組程度と大判の新作絵画2点を発表する。石田の新しい試みは、2枚の絵画を並列に置くことで、2コマのイメージを作り、絵画1枚で見てとれるシチュエーションに、時間を加えることで、さらに複雑な物語性を呼び込むことである。あくまで静止画である絵画はこれにより映像的な時間の流れの側面もはらむようになり、そのストーリー展開は観る者の持つ経験によって異なる変化を作り出すことになるだろう。

これまで日本で見ることのできなかった稀有な才能が生み出す新しい物語をこの機会に是非ご覧ください。

〈シーン#002〉 955x850x40mm, 2021, キャンバスに油彩

〈シーン#003〉 955x850x40mm, 2021, キャンバスに油彩

石田恵嗣「FLOW」展に寄せて
「水戸芸術館現代美術センター学芸員」後藤桜子

もし、世界が一枚の絵画であれば、どんな絵画でもみな世界である。石田恵嗣の絵画は、描かれた人物の面持ちやジェスチャーから見る者の想像力を掻き立て、物語の入り口へと向かうその手(眼)を引く。情報を削ぎ落とした明瞭な描線から物語の展開を期待するその視線は、しかし、画面をのたくるラフな筆触の線や色彩の帯に搦め捕られ、その先にある読み解きと永久的に戯れる。
児童書や図鑑の挿絵に対する石田の関心は、チェルシー・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザイン在学時に遡るという。絵画表現における物語性を貪欲に探究するなかで幼児教材「レディバードブック」を手にして以後、挿絵における記号性と意味との切断は、創作に不条理さや意図しない奇妙さを求める石田を現在の画風へと導いていった。
石田の絵画でまず私たちの視線を捉えるのは、挿絵に倣って描かれた人物や生き物の姿である。空っぽのゴンドラを振り返る少年、焦慮の表情をみせる婦人たち、思わぬ自由落下に青ざめた身体――作品に描かれた彼らが誰なのか、何をしているのか私たちに知る術はない。しかし、その面持ちや身振りは、想像力を駆り立てるのには十分である。「イメージは出発点である。それは、おもちゃ(toy)が幼児を空想遊びへと引き込むのと似ている。」1
これらの一見明確ながら挙動の定まらない導き手から、私たちの視線はその周囲へ、画面全体へとさ迷うように導かれる。好奇心が欲すままに人物の周囲に眼を向ければ、画面の上を横切るのは生き生きとした筆致で描かれた具象とも抽象ともつかない線と塗りである。それらは、ときに不穏に揺れる波動や夜光雲、目の回るような喧騒、あるいは遠くの稜線などをかたどるが、整った輪郭線とはほど遠く、緩急自在に画面を動き回っている。「何かを観察する(toy with)ということは対象を操作することであり、複数の文脈において試行してみることだが、いずれも決定的ではない。」2 作家によるストーリーテリングを期待する視線は、それ自体が生き物のように流れる線が躍動する画面へと放り出される。そのストロークの大胆さの根源には、構造や視覚言語の技巧性による認識論的な絵画表現より、作家自身にも思いもよらないようなものが生まれる瞬間を視る悦びへの指向があるように思われる。双幅の絵画においては、隣り合う画面間の「間」が物語を宙づりにする。しかし、この「間」に想像のための無限の空間を見出すというのは、いささか日本的すぎるだろうか。
描かれたイメージとそこに投影されるイメージの反復は、私たちが「視たい」「理解したい」という欲求を持ち続ける限り湧き出る悦びのための際限なき行為を受容する。それは私たちを魅了する書物のもつ魔術的な無際限性とも似ている。石田の絵画は描かれる対象への過度な意味の付与によって有限になる絵画を、その飄逸な筆触によって無限の想像的なものへと再び解放する。そして、「この錯迷の場所は、直線を知らない。」3

1. 筆者訳。石田恵嗣修士論文『The absurdities in picture books』39。
2. 筆者訳。石田恵嗣修士論文より引用。Susan Stewart, On Longing [Duke University Press, eighth printing 2003, first printing 1993, original publishing by Johns Hopkins University

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