原田郁 / Iku Harada
原田郁は80年代、家庭用PCが生まれた時代に生を受けました。原田の幼少期にはwindows 95の参入により本格的にPCが家庭に入り始め、原田が大学で学んでいた2000年代にはWindows2000, Apple社のiMACなど本格的に実生活と結びつき始めました。ポリゴン加工のイメージがプレイステーション2などのゲームを通して認知されたのもこのころです。
【アートフェア出品作品】原田郁《HOUSE-WHITE CUBE 2015 redecoration》112x194 cm
学生時代、原田は田舎の山形から上京し絵画を学ぶ中で、周りの学生の描画レベルの高さに驚き、同じことを続けていてはかなわないと悟ったといいます。原田はこういった状況の中で自分だけのオリジナルでかつ、一生続けることができる表現は何かと自問自答しました。日常におけるありとあらゆるものが、歴史の中で描きつくされていると思った原田は「これまで誰も描いてこなかったもの」、「今後も続いていくもの」、「自ら発展させることができるもの」という3つの要素を満たす表現を考えました。その結果、原田が”インナーワールド”と呼ぶコンピューターグラフィックスによる自分だけの仮想世界を作り出すことに到達したのです。
その作風は初期にはその3D化されつつも単純な形態を持つその仮想世界をキャンバスに描き、仮想空間を現実的にフィジカル化させるだけでしたが、作家はこの約20年で実に多くの試みを重ねて、世界にも類をみないかたちの絵画モチーフに発展させました。さらに、仮想現実空間を実体化させるだけでなく、現実世界の空間的モチーフを仮想空間に反映させることで鑑賞者を双方の世界に行ったり来たりさせる作品へと展開させています。おそらく原田は、PCのイメージをモチーフにした作家の中で唯一性を持つパイオニア的存在であり、昨今の日本の主力であるデジタル系アーティストからも一目を置かれる存在ともいえるかもしれません。(NTTコミュニケーションズのICCにおける展示でも、唯一絵描きとしてそのグループ展に立て続けに参加している)
そんな原田にとってのリアリティは、象徴的であり、感覚的です。コンピュータの進化によって現在私たちのリアリティは知覚的にその範囲を拡張されつつあります。世の中ではAR、VRといった方法で視覚は拡張され手では触れることのない、(そういった意味では)実在しない世界へと足を踏み入れ始めています。これまで我々が信じてきたリアルとは何かと改めて問われるような時代に突入しているのかもしれません。
そんな現代の中で、原田は実に巧みに独自の世界観を作り出しています。コンピュータ上に約15年かけて作られ続けた原田のインナーワールドは、概念的に単純化された海に浮かぶ島の形態をとっています。地面は草原をイメージする緑の平面で表され、その上に立つ草木も形を単純な形態をしています。色はコンピュータらしいはっきりした彩度と不透明な面で表現。これらの形や色は現実世界とは全く違うものの我々がそれはなんであるかを理解するのには十分な要素を備えており、作家が描くために切り取った矩形の中に現れる様子は風景であると即座に認識できる形を有しています。
原田はこういった誰にでも伝わりやすい象徴的なイメージで構成された仮想現実を絵に描き、彫刻として作ることで、自身の脳内イメージを作品としてこの世に顕現させています。近年ではこれらにさらに錯視の要素を加え、あること、ないことのリアリティを曖昧なものとし我々に目に見える存在の不確かさを問いかける仕事をしており、表現の幅を広げています。
左:【アートフェア出品作品】原田郁《WINDOW 2023 #001》130.3x193cm
中央:【アートフェア出品作品】原田郁《GARDEN-WHITECUBE sculpture #001》55x63x82cm
右:【アートフェア出品作品】原田郁《GARDEN-PIECE-ROPPONGI》80x80cm
左:【アートフェア出品作品】原田郁《GARDEN-WHITECUBE 2023 #004》80x80 cm
左:【参考作品】原田郁《color trees 2023 sculpture》100x350x208.5cm
右:【アートフェア出品作品】原田郁《color trees 2023 #006》130.3x194cm
石田恵嗣 / Keiji Ishida
【アートフェア出品作品】石田恵嗣 新作《Is this it》95x90.5cm
石田は1975年千葉県生まれ。2006年より渡英。西洋での長期の滞在をとおして、歴史や文化に触れ、オスカー・ムリーリョやダニエル・クリュー・チャブなどヨーロッパのスター候補の画家や、現在日本で頭角を現す現代美術作家の冨安由真らとの交流から多大な影響を受けました。これまで、イギリスのギャラリーからアートフェアに出展されるなどヨーロッパを中心に活動してきました。
石田についてフランス人美術評論家クレリア・チェルニックは次のように語っています。
「石田恵嗣の絵画は一見、西洋の絵本、イソップ童話、アンデルセン物語の絵に似ている。しかしよく見るとマジックリアリズムを感じさせるような、日常生活と不思議な世界への入り口とが入り混じった奇妙な好奇心が読み取れる。そこにあるのは訓話や無駄話ではなく、沈黙した静かな不思議さであり、登場するキャラクターの思いがけない出会いの中で 意味と言語が浮遊するようだ。この世界と言説の宙づり状態は、「モンタージュ」との三重の関係性によって構築されている。
(中略)
石田の作品は吊り橋のように、マンガの世界とヨウカイ(妖怪)の世界、昨日と今日の世界、巣穴から出てきたモグラの絵描きと我々の世界を―綱渡りのような優雅さで―繋いでいくのだ。」(クレリア・チェルニック「イメージのモンタージュ 」より)
【アートフェア出品作品】石田恵嗣《Scene - Snakes》180x160 cm
【アートフェア出品作品】石田恵嗣《少年と笛》180x126 cm
子熊(ぬいぐるみ?)と笛を吹く少年が描かれたこの絵は一見暴れたような、絵の具の強い筆致が印象的です。作家によってある絵本から抜き出されたキャラクターが、その妙な組み合わせからストーリを逸脱し、奇妙さにドライブをかけていく——。その激しい筆致は、キャラクターのイメージがもたらす、既知の物語がこの絵画にオーバーラップしてくることに呼応するかのようであります。鑑賞者はこの絵を通して、意味と言語の浮遊をより強く感じ取ることができるかもしれません。日々起きる事件や出来事を横並びに並べてみたら、私たちが住む日常も案外これに似た状況にあるのかもしれません。
東弘一郎 / Koichiro Azuma
【アートフェア出品作品】東弘一郎「風車輪 ドローイング1」2023
東弘一郎は1998年 東京都生まれ。地域との対話から作品を構想するアーティストです。アート作品は、文化的な背景や価値観、個人的な経験や感情、社会的な問題などを表現することが可能といえるでしょう。東の作品表現は、鑑賞者(体感者)に対してさまざまな感情を呼び起こし、共感や共鳴を生む装置となることもあります。
これまで、東は在住する取手市(茨城県)で自転車を集めて、動く車輪を作品化してきました。都市空間に設置された車輪が鑑賞者の身体によって動き出すことにより、止まっていた過去の時間が再び働き出すようなイメージが視覚化され、インスタレーション作品からは、取手市が自転車の街であったという記憶や、自分ひとりの力ではどうにもできないこと、諦めてしまっていたこと、停止していた思考を動かしてみること、そのような思いが回転する車輪から、頭の中に湧き上がってくるようにも感じられます。
東のアート作品は社会的な問題についての意識を高めるだけでなく、共感や理解を生むことがコミュニケーションの促進であるとあらためて気づかせてくれる存在です。工業化社会によってグローバル資本主義が陰りを見せ始め、佐原地区でも少子高齢化による深刻な過疎化という現実に直面しているといいます。車輪は物を運ぶための手段として利用され、社会的な発展や人類の進歩のために重要な役割を果たしてきました。コミュニケーションも人々の意思や情報を円滑に伝えられるかどうかが社会の進展に大きな影響を与えることになるのではないでしょうか。
そんな東が今回発表するのは、昨年末から台湾の芸術祭「落山風藝術季」で発表した巨大な作品《風⾞輪 / Wind Wheel》のイメージドローイングです。開催地である台湾・屏東県は風が強く、その強風の⼒を活かした作品を作りたいと思い制作されました。風の⼒は巨⼤なプロペラを通り、シャフトの回転を駆動刷ると共に⾃転⾞の⾞輪の回転を駆動。最終的にすべての⾞輪にエネルギーを伝えます。風の力と方向は予測不可能であり、刻々と変化する自然との関わり方を視覚的に示しているかのようです。
【参考作品】東弘一郎《風⾞輪 / Wind Wheel》2023 / 2023落山風藝術季 (屋外展示)