展覧会Exhibition

南条嘉毅 個展「senne」
《Peering into the Seabed》2022 / 「せとうちの大気」香川県立ミュージアム 造形サポート=カミイケタクヤ / 撮影:宮脇慎太郎

  • 南条嘉毅 個展「senne」

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南条嘉毅 個展「senne」

2023 年10月7日(土)- 10月22日(日)

南条嘉毅は、今回の個展において、これまでのサイトスペシフィックアートを通して出会った土地の風景から水面と古道具を切り取り、その記憶や歴史を鑑賞者に提示することで新たな展開を模索します。本展のタイトルである「Senne(センヌ)」はポーランド語で「眠る」または「夢の中」という意味があり、南条が訪れた地方の民具に眠る忘れられた歴史や個人の記憶をすくい上げようというところから名づけられました。作家が特定の土地で出会った風景を鏡の中にとじこめて展示室に持ち込むことで、抽象性を与え新たな風景として変容させた新作のメディアアートを中心に、油絵、古民具を用いた音の出る彫刻、未発表のドローイングおよびそれらを基にした版画など10数点と新作インスタレーションを公開します。

日程 2023 年10月7日(土)- 10月22日(日)
営業時間 水~金 12:00 - 19:00 / 土日 11:00 - 17:00
休廊日 月曜日、火曜日
レセプション 10月7日(土)16:00 – 18:00
作家在廊 10月7日(土)、8日(日)、21日(土)、22日(日)
南条嘉毅は1977年、香川県坂出市生まれ。2002年に東京造形大学研究科(絵画)を修了。当初は東京を中心に国内外の展覧会やアートプロジェクトに参加するなど精力的に活動し、土を使った絵画表現を中心に制作をしていました。

2016年に生活の中心を東京から和歌山に移すと、地域のことを体感的に吸収し、平面作品による表現から脱却の兆しを見せ始めます。大きな変化をもたらしたのは、2017年のアートフロントギャラリーにおける展覧会で発表したインスタレーション作品でした。この作品は同年開催された奥能登国際芸術祭に向けた作家の新しい展開を試行するものであり、暗闇に一筋の光と細かい土が降り注ぎ堆積していくというもので、これまで絵画で表現してきた時間と空間を異なる方法で表現するきっかけを作りだしました。直後に開催された芸術祭では、閉館した映画館を舞台に、使われなくなった道具を主役としてまるで演劇のようなインスタレーションを発表しています。これ以降、南条はこれまでの絵画を中心とした制作からそのスタンスを移し、音、光、空間を使い演出をすることでその土地の歴史や文化を見せるという総合的な表現を追求していくこととなりました。

近年南条の活躍はめざましく、2021年に開催された、コロナ禍における奥能登国際芸術祭2020+では、ディレクターである北川フラムの大蔵ざらえプロジェクトを受けて、旧珠洲市立西部小学校の体育館を舞台に8組の作家と作品をキュレーションしスズ・シアター・ミュージアム構想を実現しました。また、現在開催中(~9/24)のグループ展「市原湖畔美術館開館10周年記念展『湖の秘密-川は湖になった』」にも参加し、地域に根差した新作のインスタレーションを披露し注目を浴びています。

2.5次元の「パリンプセスト」
クレリア・チェルニック[パリ国立高等美術学校教授(哲学)、美術批評家]

黒澤明は《夢》の中で、ゴッホの絵の中に入りこむという、すべての芸術家の究極の夢を実現させた。
南条嘉毅もまた、彼自身のやり方で、あらかじめ思い描いたイメージの中に飛び込む作品を構想している。彼は過去の絵画作品で、描く場所の土と絵具を使ってイメージを構成したが、それは場を一体化させ、一旦解体した上ですべての層と地層を復元する点で「パリンプセスト」を連想させる。パリンプセストとは羊皮紙に書かれた写本のことで、中世の写本職人たちが古代のテキストを消した上に、彼らの時代の文字を書き重ねたものである。異なる文字の層は、透けて読めるため、同時に異なる時代を明らかにする。南条がめざすのも、まさに同じように時間性を層として見せることにある。彼がある特定の場所に関心を寄せるとき、それは客観的な地理構成というよりも、テリトリーに関連する共同体の歴史であり、関係性、投影、重ね合わせの網の目全体がパリンプセストに似ているのである。
南条のインスタレーション作品では、対称的に、パリンプセストに書かれた様々なレイヤーを展開し、人為的な再構成に陥ることなく、二次元から離れ、むしろその中間、2.5次元ともいうべき平面とレリーフの間にある、空間におけるレイヤーの重ね合わせに近い状態にとどまることを目指している。このように、絵画とイメージの連続の中に空間が立ち上がり、見る者は「イメージの間」を実際にさまようことができる。南条の作品は、昔の絵画作品のように、投影と解釈の空間、いわば空間のパリンプセストとしてとどまるのである。
いくつかの作品では、絵画が動き始め、動く表面となり、絶え間なく変化する不安定なレイヤーを提示する。さらに、絵画と鏡の間に一種の混乱がもたらされる。絵画の固定された表面は生き生きと動き出すのに、鏡に映る反射は止まったままであるからだ。色とりどりの虹色の背後にあるのは、まさにこれらのイメージが映し出す海の表面である。まるで海面がその深みから切り離され、動く絵画になったかのようだ。ただし動く水面には奥行きはなく、作家のパリンプセスト・インスタレーションにおけるレイヤーのひとつと化している。
とはいえ水はすべてを包含する表面であり、その干満の中で、太古の地層となり、初期人類や洞窟壁画の地層ともなり、波と浮力の動きの中で他の表面と対話する。ここではすべてが表層で起こっているが、パリンプセストのように、表層は透明なものとして扱われ、その下に織り込まれた層を垣間見せる。このようにして、南条は場の時間層を重ね合わせることで、その場所の本質や魂を明らかにする。表層を投影することによって、陶器、石、日常的な道具などのオブジェが媒介となり、時間の層の深みへと私たちを引き込み、或る表層から別の表層へと私たちを導くのである。影、照明、投影は、新たなイメージを位置づけ、空間を回析するような一連の装置を構成する。
リヒャルト・ワーグナーの歌劇《パルジファル》のように、「ここでは時間が空間になる」といえるだろう。

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