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田中望 @ 明治神宮、東京
2020/07/09
田中望が7月10日(金)より明治神宮ミュージアムで開催される「紫幹翠葉 −百年の杜のアート」展に参加します。
(田中については こちら)
作家コメント:
明治神宮の杜は、大正時代に人々の手によって作られた「人口の森」だ。今でこそ、照葉樹が主木の一年を通して深い緑に覆われている杜は、かつては樹木のほとんどない「荒れ地」だったらしい。
人々が祈りを捧げるための「永遠の杜」となることを目指して、当時の林学の専門家らが、どんな木をどのように植えていけばよいか考え、この土地に適した形で植林したという。それは、将来的に椎・樫・楠などの照葉樹を主な構成木となるように植えるという方法であった。当時の常識では鎮守の森といえば杉林だったが、代々木の地にはそれが適さないということから、将来的にこの土地に適した照葉樹の森になるように、50年後、100年後、150年後という3段階の過程を想定し計画された(最初に生長の早いマツやヒノキ・サハラなどの針葉樹を植え、徐々に常緑広葉樹を植えてゆき、森自らが世代交代を繰り返すようになる)。
この展覧会にお声がけいただいたのが5月5日。通常であれば、現地に取材に行って気になることを探し、それを手掛かりに制作に入るけれど、コロナのことを考えると、いま東京に行くことはやめておこうと自分で決めた。
現地に行くことができない中でどのような問題提起ができるのか考えつつ、「森」というキーワードでネットの記事や本を探していたところ、辺野古(沖縄)のサンゴ礁についての記事に目がとまった。そこには「サンゴの森」という言葉が載っていた。埋め立てによってサンゴ礁が破壊されてしまうという問題をこれまでもツイッターなどで知り気にはなっていたが、今までは「埋め立て問題」として関心を持っていて、サンゴそのものについてはあまり考えていなかったことに気づいた。
このことと直接比べることは恣意的すぎるだろうかと自分のなかでまだ疑問はあるけれど、「永遠の杜」となることを願い人々が想いをよせ育まれてきた森と、壊されてしまう森があることって、どういうことなんだろうと気になった。
そして、「永遠の杜」の永遠先を想像してみたいとも思った。渋谷の谷は、縄文時代には温暖な海の底だったらしいが、もしこのずっと先の未来に、地球が今よりもずっと暑くなって、代々木台地までも海の底に沈んだら、「永遠の杜」はどんな姿になっているだろうと想像してみたいと思った。神宮の杜は作られた当初から100年を経て、その生態系や景観を変化させてきた。永遠先の杜も、海水や温暖な気候に適応して新しい生態系を築いているかもしれない。その時代ごとの杜の姿に人々は想いを寄せ大切にしてきたのなら、現在とはまったく違う姿となった永遠先の神宮の杜も、きっと未来の人々にとって変わらず大切な場所であるだろうと思う。
今のところ、このようなストーリーをもとに作品を描くつもりでいます。
■「紫幹翠葉(しかんすいよう)−百年の杜のアート」
会期:
2020年7月10日(金)〜9月27日(日)
会場:
明治神宮ミュージアム
オンライン展示はこちら(Google Arts & Culture
本展は、明治神宮の杜を舞台とした芸術と文化のフェスティバル「神宮の杜芸術祝祭」のメイン企画である、3つの美術展のひとつです。
約30人のアーティストが屏風、掛け軸、衝立、扇面といった日本古来の美術品のかたちにあわせた新作を発表します。
出品作家(五十音順、予定):
朝山まり子、石塚隆則、薄久保香、小沢さかえ、小津航、海野貴彦、川久保ジョイ、清川あさみ、小瀬村真美、小谷里奈、小林孝亘、品川亮、篠田太郎、杉戸洋、須永有、田中望、椿昇、天明屋尚、中村ケンゴ、流麻二果、ナマイザワクリス、能條雅由、畑山太志、濱口健、ひびのこづえ、平井武人、平川恒太、笛田亜希、船井美佐、本田健、増田将大、町田久美、ミヤケマイ、三沢厚彦、森村泰昌、森山亜希、山口藍、山口典子、山本太郎、山本基