近藤(以下、K):大学で最初は物質工学科っていうのところにいらっしゃったというのがすごく印象的だったのですが、物自体、物そのものに興味があったのですか?
角:物質工学科には1年もいっていないくらいなんですが、基本的には新薬を開発するとか、新しい物質を科学的に生み出すというような分野です。分野は違いますが、自分の中ではものづくりというところで共通していて、最初は新しいものを生み出すということに興味を持ってこの分野を学ぼうと考えました。ただ、その先どう進むかという点で疑問を持った時期があって、美術の方を目指すようになったという感じです。
もともと物を作ったり絵を描いたりということはすごく好きだったんですが、田舎だったということもあって、美術の道に進むとかいう概念も全くなく、美術大学の存在自体よく知らなかったようなところもありました。その中で、前の大学に進学して自分の進路について考えた時にやはり美術というものを本格的にやってみたい、と思って東京に来たんです。
K:まずは金属の作品が出てきますが、これはもともと物質として金属に興味があったのですか?
角:そうですね。金属の中でもほとんど鉄なんですが、素材の造形のしやすさ、物質的な変化の仕方に興味を持ったのと、構造体とか重さとか物質的なイメージに惹かれていました。そこで鉄を中心に、実際に使うということではなく表現として発展していったんです。
K:現在も継続しているとは思いますが、始めの頃の作品で工事現場にあるような建築の素材だったり、鉄塔に構造体のようなものが走っていたりと、鉄道や船といった乗り物やクレーンなどの工事現場にある物がモチーフとしてよく見られますね。どちらも重そうな物が動くという点で共通していますが。
角:人間が住まいとか物を作る現場にある重機類が人とは別の生き物に見えるというか。大工さんが家を建てる行為とは違って、全く別の生命体が自分の棲みかを作っているような雰囲気がすごく印象的に見えたんですよね。重機が蠢いて、それが休みの日には完全に止まっているのとか、スケール感がすごく面白くてよく見に行ってしまうんですよ。
「石の下の百足」 2002年 / 鉄・コンクリート / 5600×1000×1600mm
K:初期の作品で「石の下の百足」というものがありますが、これは建築と乗り物が合体した作品ですよね。
角:自分の立っているレベルが地下なのか地上なのか都会だとよくわからなくなるっていう感覚をよく感じていたんです。この作品は地下鉄をイメージしているんですが、都会にいると自分が今地上何階にいるのかとか地下何階にいるのかとかわからなくなるっていうことがよくあって、そこから足の下を走る電車、というイメージで作りました。
K:その作品が2002年のものですが、他にも重機のような作品がいくつかあります。その後2006年には雑誌を固めて作られた「コロコロなるままに」という作品がありますね。ここで何か大きく変化しているような印象を受けますが。
「コロコロなるままに -山寺 #01」 2006年 / コロコロコミック・香炉・FRP / 280×140×140mm
角:この作品はコロコロコミックという雑誌を固めて家を作ったのですが、自分のルーツというか、自分達世代の物を素材にしたいというのがありました。それで僕ら世代はコミック雑誌で育った文化があるので、それを素材に表現しようと思い作ったんです。
K:ここでも建築っていうのは出てきますよね。それまでは重機とか建築素材とかでしたが、今度は建物が出てきています。これは中国の置物であるような重い石のような形をしていますが、こういった重く見える物が軽やかで細い物で支えられているという点は共通しているように思います。例えば先ほどの地下鉄の作品では、重い柱を鉄道が運んでいるとか。このような重さと軽さの関係性はどういったところからきているのでしょうか?
角:石や鉄などの伝統的な素材は使い方によっては重く重厚感があるように見えますが、僕は入口がもともと美術からでなかったというのもあってか、そこに対する既成概念みたいなものをあまり持っていないんですね。そこを意識的にやったというようなところがあります。コミック雑誌の作品では、僕らの世代が軽いとか、そういう風に見られがちだと感じることがあって、それを逆手にとって僕らの世代でしかできない表現や素材の使い方をトラディショナルな風に見せたい、という意識がありました。鉄もオーソドックスなスタイルではなくより違った形で物を支えているとか、重い物を華奢な物で支えるとか、そういったタブーのようなものを覆すイメージで制作しています。
K:それは例えばリチャード・セラが鉄板を棒で支えていたり、アルテ・ポーヴェラの人達が石を壁にとめたりとか、そういった見ていてなんとなく不安になる、緊張感がある、違和感を感じるというような事と共通しているのかもしれませんね。
角:そうですね。
近藤(以下、K):不安定なバランスで立っている作品を見ていて、不安を感じるだけではないというのが角さんの作品の面白さだと思いますが、鉄道と建築素材、あるいは漫画と家、今回の展覧会の作品だとクレーンと家など色々な物の組み合わせがあります。こういった組み合わせの結果としてはどのようなイメージを見ているのでしょうか。
角:僕の中では、いつもそこにある風景という感じですね。それを制作しています。
K:なにかアイデア集とかドローイングなどをいつも書いていたりはするのですか?
角:ドローイングはほとんどしませんが、思いついた言葉を書き留めるということはやっています。メモ書きなんですが。そういった言葉を元に直接作るということが多いですね。
すね。
K:今回の展覧会では2007年以降くらいの作品があります。その中で「野生の記憶」というのは比較的新しいシリーズだと思いますが、これは建築素材などと違い、見つけた物に自分で葉っぱをつけていくような作品ですよね。何を「見つけたもの」として選びとるかが興味深いのですが、葉をつける対象を見つけてくる基準というのはあるのですか?
「野生の記憶 -ナイフ-」250x120x150mm、ナイフ・針金・紙、2008年
角:まず基本的には木製品を選んでいます。ナイフを選らんだのは鋭利な物と植物っていう組み合わせの狙いがありましたが、だいたい骨董市とか蚤の市で探してきた物で、基準といえるものも自分の中で「ここから芽が生えるな」という直感です。例えばブラシの作品だと穴の部分と元々生えていた毛の関係だったり、ボタンの作品は単純に種のような雰囲気があるなと感じたり、というようなことです。
K:確かに日常生活というものは衣服にしても木の製品にしてももともとは生きていたものを素材にすることが多くて、「野生の記憶」というのもなるほどと思いました。生命をいかにも失っている物から新たに生命が出てきているのが角さんの作品の面白さですね。
角:そうですね。基本的にはあと捨てるだけとか、飾りとして飾る意外の機能がないような物に焦点を当てています。
K:大きい作品についても伺いたいのですが、「ニュータウン」という作品は鉄板の上に家が並んでいて、住宅街あるいは港なんかを思い起こさせます。これはどういったところから思いついたのですか?
角:もともと住宅とか棲みかには興味があったのと、先ほどの話とも繋がりますが、鉄なのに不安定だったり脆いっていう構造体に立体としての面白みを感じていた、というのがあります。この作品に関しては、トランプでタワーを組み立ててるトランプタワーがきっかけになっていて、トランプタワーを見た時にこれを鉄板でできないかな、と思ったところから始まりました。
「ニュータウン」1000x500x2000mm、鉄、2007年
K:「ニュータウン」はトランプタワーのような危ういところに立っていて、実際に少しの振動で揺れたりします。今回の作品はこのように地面から高く持ち上げられるような作品が多いのも特徴的だと感じました。
角:それも建築物への興味の部分と繋がるのですが、僕が育った場所は本当に山奥の田舎の村だったんですね。そこから初めて東京に出てきた時に、あまりにも住宅が密集していたり、高層ビル群があったりするのを見てものすごく衝撃を受けました。本当にそこに人が住んでいるのかと、ショッキングだったのを鮮明に覚えています。それがきっかけで人が住んでいる場所やそれを作っている現場に興味がいったんです。なので、特に高層マンションのように地上から離れたところに住んでいることへの面白みや不安感、違和感といった感覚への興味から作品を作っているんですよね。
K:確かに東京って地下に水脈が流れていて、そこを地下鉄やレールが走っていたり水道が走っていたりとおそらく地下はものすごいことになっていますよね。実際自分の家の地下がどうなっているのか想像できないのですが、それを見せられたような不安な感じがして面白いなと思いました。
近藤(以下、K):「空中都市」という作品では、作品の下の部分は家の敷地を表しているということですが、家自体は隣の家と微妙に離れるように作ってある一方で、テリトリーを見るとすごく密集していますよね。
角文平(以下、角):そうですね。東京では隣同士の家の密集度合いはすごいですが、お互いの家の関係は別に濃密でもなくむしろ希薄で、距離があるんですよね。
K:この作品は今回このような形で展示されていますが、置き方は微妙に変わったりするのですか?
角:はい、今回はこのスペースの窓、外から見ることを意識してこういう形になっていますが、基本的には街を表しているので、作品も展示する場所によって変わります。
K:壁についている「L字の丘の城」。これもファンシーなお城が地面から持ち上げられていますね。
「L字の丘の城」450×100×700mm、鉄・発泡ウレタン・ポリエステルパテ、2011年
角:これはつばめの巣から着想を得ています。つばめの巣って街灯とか支柱の上とか結構色々ところにあるんですよね。人間も土地が狭いですし、強引に埋め立てたりとかして場所を作っているのを見て、どこか通じるような気がしたんです。そこからL字金具に対して建物が土地をそのまま伸ばしたような感じで立ったら面白いなと思って作りました。今回はデコラティブないかにも西洋の金具にお城をつけてみましたが、色々なL字金具に異なる建物をつけていくようなことは今後もやっていきたいと思っています。
K:こういう物同士の不思議な組み合わせって僕らが普通に生活していてもやっているのかしれないですね。
角:そうですね。人の家にあがって不思議に思う物って結構あったりすると思うんですけど、本人は意外な組み合わせに思っていなかったりとか、そういうのと似ているのかなと思って。そういった感じが気になってやっています。それに人が長い歴史で作り出してきたものってそもそも意外な物同士を素材として組み合わせることで多くの物が成り立っているのだと思います。
「黒い鳥」400×300×600mm、鉄・油性塗料、2007年
K:「人間の巣」や「黒い鳥」はさっき話に出たような建築素材との組み合わせになっています。ファンシーなものがとてもごつごつしたクレーンやコンクリートや鉄骨などによって作られて、表面だけが綺麗に覆われカモフラージュされているといった感じで、本当はこういうところに住んでいるんだと改めて驚きます。
角:そうですね。建築現場とか好きでよく見ますが、基礎の部分は鉄骨でどんどん地下に打ち込んだりしている一方、その上にかわいらしかったり、おしゃれだったりする家がくっついているんですよね。土台の部分が本当に無骨な感じであっても。
「人間の巣」1600×250×600mm、鉄・木、2011
K:特にこうやって地震が起きた後に考えると人間は堤防を作って海の側に住んだり海を埋め立てて住んだり、繊細に見える建物をむりやり実現させる為に見えないところに複雑な構造体をいれたりとか、かなり無理して生きてきた現代の有り様っていうのを思いますよね。特に日本ではそれがエスカレートしているのかと思いますが、そういった意味で角さんの作品は都市的な作品なのかもしれません。
角:そうですね。初期の都会に出てきた時のギャップというよりは今こっちに住んでから生まれた感覚、都市を色々と見てきた中で生まれものだと感じています。
K:木の芽が出ている作品だったり、家が危ういところに立っている作品だったりいくつか作風があると思いますが、今後の展開として何か考えていることはありますか?
角:世の中の変化や、自分自身の生活の変化などにはあまり逆らわず、その中から生まれていくものに反応しながら作っていきたいとは思っています。人間はどこか無理をしながら生きているのではないかと思いますが、やっぱり自分の中でそれに反応する限りは続いていくんじゃないかなという気がしています。
K:角さんが東京ではなく地方出身で、都会を見て違和感を感じて作品を作り出した、というのが始めにありますよね。このまま角さんが東京に住み続けてその風景に慣れていくとどういう変化が生まれるのか、というのも楽しみです。
角:もちろん既に10年以上こっちにいるので、最初の頃とは意識が変わっていることに自分でも気づいています。今度は実家に帰ると田舎の風景に対して違和感を感じたりするようにもなっていますし、そこの行き来というか。生まれた故郷は変わらないですし、これから東京に住み続けるかはわかりませんが、住む町に対する意識を元に制作を続けていくのだと思っています。都市にいても違和感は一生消えないような気がしていて、そこに反発しているわけではないですが、自分がいいなと思ってきた住まいや風景に対しては確固たるものがあって、そこは変化しないんじゃないかなと思います。