展覧会Exhibition
角文平 - Fountain / Sleep
2018年 11月 30日(金) - 12月 24日 (月)
この度アートフロントギャラリーでは、角文平の個展を開催致します。
角文平は1978 年福井県生まれ。武蔵野美術大学工芸工業デザインを卒業後、2 年連続で岡本太郎記念現代芸術賞にて特別賞を受賞し注目を浴びる。その後1 年間のパリ留学を経験し、帰国後から本格的な作家活動を続けている。2013 年の瀬戸内国際芸術祭参加以降、各地の芸術祭にも呼ばれ、現地のリサーチを元に空間的なインスタレーション作品も展開。一方そのユーモラスな作品の表象からTV 番組のプログラムなどにも取り上げられることもしばしばあり、その作風を愛するファンも多い。
角文平の作品の魅力は2 つある。ひとつは子供のように自由な発想力を基にした素直な表現力、もうひとつは日本人らしい繊細な造形力を基にした再現力である。過去のアートフロントの展覧会においてこの2 つの魅力は十分に発揮され、その制作物は、丹念に作り上げられているにもかかわらず、一見どこかから拾ってきた日常品かのような錯覚を起こさせた。ユーモラスな機知にとんだアイディアで、組み合わされた日常はいつも微かな違和感があり作品を注視させる力があった。
前回の展覧会以降、現実のありようをよく観察し再現することに長けた彼の作業は一定の域に達しておりそれは時折、世界的なアーティストの重要な作品を下支えしてきた。この経験を経て作家は世界に通用するものとの差を肌で感じてきている。今回の展覧会で作家が今考えることは自らの作品は日本人作家にありがちな技巧に頼った表現から如何に脱却できるであろうかということである。
大きな命題に直面しているアーティストは今回2つの異なる部屋で2つの展覧会を行う。
ひとつはこれまで同様にユーモラスなアイディアで日常的なものを組み合わせた立体作品であるが、既存のものの組み上げに加え、キネティックな要素により時間が付加されている。ドラム缶の上に連想ゲームのように積み上げられた立体は噴水を象り絶え間なくその中身を循環させる。その様子は一方的な見え方に陥ることなく、物事を多角的に見せる工夫と手がかりを持っている。
もう一方は、薄暗い空間の中に明滅する灯りと時折膨らむ風船が生き物の呼吸を思わせるスリープシリーズを展開する。わずかな動きと光が、命の無い無機物を前にしてもあたかも生きているかのように思わせる。
本展覧会は単なる立体作品にとどまらない角の新たな挑戦をお届けするものとなるだろう。
角文平は1978 年福井県生まれ。武蔵野美術大学工芸工業デザインを卒業後、2 年連続で岡本太郎記念現代芸術賞にて特別賞を受賞し注目を浴びる。その後1 年間のパリ留学を経験し、帰国後から本格的な作家活動を続けている。2013 年の瀬戸内国際芸術祭参加以降、各地の芸術祭にも呼ばれ、現地のリサーチを元に空間的なインスタレーション作品も展開。一方そのユーモラスな作品の表象からTV 番組のプログラムなどにも取り上げられることもしばしばあり、その作風を愛するファンも多い。
角文平の作品の魅力は2 つある。ひとつは子供のように自由な発想力を基にした素直な表現力、もうひとつは日本人らしい繊細な造形力を基にした再現力である。過去のアートフロントの展覧会においてこの2 つの魅力は十分に発揮され、その制作物は、丹念に作り上げられているにもかかわらず、一見どこかから拾ってきた日常品かのような錯覚を起こさせた。ユーモラスな機知にとんだアイディアで、組み合わされた日常はいつも微かな違和感があり作品を注視させる力があった。
前回の展覧会以降、現実のありようをよく観察し再現することに長けた彼の作業は一定の域に達しておりそれは時折、世界的なアーティストの重要な作品を下支えしてきた。この経験を経て作家は世界に通用するものとの差を肌で感じてきている。今回の展覧会で作家が今考えることは自らの作品は日本人作家にありがちな技巧に頼った表現から如何に脱却できるであろうかということである。
大きな命題に直面しているアーティストは今回2つの異なる部屋で2つの展覧会を行う。
ひとつはこれまで同様にユーモラスなアイディアで日常的なものを組み合わせた立体作品であるが、既存のものの組み上げに加え、キネティックな要素により時間が付加されている。ドラム缶の上に連想ゲームのように積み上げられた立体は噴水を象り絶え間なくその中身を循環させる。その様子は一方的な見え方に陥ることなく、物事を多角的に見せる工夫と手がかりを持っている。
もう一方は、薄暗い空間の中に明滅する灯りと時折膨らむ風船が生き物の呼吸を思わせるスリープシリーズを展開する。わずかな動きと光が、命の無い無機物を前にしてもあたかも生きているかのように思わせる。
本展覧会は単なる立体作品にとどまらない角の新たな挑戦をお届けするものとなるだろう。
日程 | 2018年 11月 30日(金) - 12月 24日 (月) |
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営業時間 | 11:00 - 19:00 (月、火休 / 12月24日は開廊) |
レセプション | 2018年 11月 30日(金) 18:00~20:00 |
浮遊する世界~suspended / suspense
クレリア・チェルニック、パリ国立高等美術学校教授(哲学)、美術批評家
角文平の作品を前にして、まず感じるのが普通に体感できる重さと軽さである。空中に浮くかどうかを調べればそのモノがどれほど重いか一目瞭然であり、同様に我々をとりまくモノの精神的な重みを理解するには、それをみて思わず笑ってしまうかどうかをチェックするのが一番手っ取り早い。角はそんな重さと軽やかさの間に存在する緊張感を、詩的でデリケートな作品で遊んでみせる。たとえば車や爆弾の危険性を浮き彫りにするため、彼はオブジェを空中に浮かべ、浮遊する軽やかさ、詩情や問題意識を疑似的な組み合わせによって一気に提示してみせる。モノたちを飛翔させる独特の方法は、裏をかえせばその重さを感じ、抵抗を克服し、重力や消極性を理解する方法といえるだろうこの世界があたかも地面から浮き上がっているようにみせるのは、アンドレ・ブルトンのいう「決定的な夢想者」の眼で社会を観察し、かつ詩的で批判的に距離をおくことと軌を一にしているのだ。
同様に、石油缶やチョコレートの噴水といったモノに、角は列強や経済大国、エネルギー争奪戦争や公害といった明白なシンボルを重ね合わせ、それらのイメージを喚起する。チョコレートを無制限に与えられた子供のワクワク感はかえって半減するという破滅へのシナリオも見え隠れする。視線を常識から動かし、大食い願望や軽やかさをくすぐりながらもこの世界の暗黒部分と向き合わせる巧みな手法である。さらにいえば、工業製品のステレオタイプな特質は、大工仕事や作家が手作りで制作する部分に対比される。ここでもまた、人間らしさを失った工業製品の世界と、温かいまなざしと人間味あふれる二つの特性の間の緊張感、一つの基準が生み出される。彼の作品は、資本主義社会の中で私利私欲を肥やし自らを見失っていく危険な力と、ヒューマンな視線に基づいた主観的な創造、そこから発するポエティックな夢、その両者のバランスと均衡の上に成り立っているといえるだろう。
角文平の世界は、二重の意味で「サスペンス」だ。彼の世界は重力から解放され、シリアスな意味からもつきぬけて地面から立ち上がる点で「宙ぶらりん」。面白いことに、重力を考えれば考えるほど、その繊細さや不安定さが際立つ。世界はサスペンスで危険で脅威に満ち、そのバランスは危ういばかりか失墜の時が迫りくる。
モノとモノを組み合わせ、コラージュする手法は、世界を詩のように取り扱い、また同時に世界を疑う、否もっといえば謎にかけているようで、批評性や政治性を帯びてくる。シュルレアリストたちが「世界を変革する」野望を抱いたことを思い出そう。彼らのいう「生の変革」とは、詩の革命と政治の革命とを分かちがたく結びつけながらも決して両者を混同する意思はなかった。美学と政治学との弁証法を説きながら、コラージュ的なはめこみ手法と「異形」は世界を見る新たな視線の道具となるだろう。つまり、裸眼では追うことのできない微細な物質を顕微鏡が明らかにするように、望遠鏡があれば遠くてみえないものが見えてくるのと同じように、軽さと重み、ユーモアと真面目さを取り合わせて融合することにより、角文平は現代社会の見えない矛盾や不条理を明らかにしてくれるのだ。
クレリア・チェルニック、パリ国立高等美術学校教授(哲学)、美術批評家
角文平の作品を前にして、まず感じるのが普通に体感できる重さと軽さである。空中に浮くかどうかを調べればそのモノがどれほど重いか一目瞭然であり、同様に我々をとりまくモノの精神的な重みを理解するには、それをみて思わず笑ってしまうかどうかをチェックするのが一番手っ取り早い。角はそんな重さと軽やかさの間に存在する緊張感を、詩的でデリケートな作品で遊んでみせる。たとえば車や爆弾の危険性を浮き彫りにするため、彼はオブジェを空中に浮かべ、浮遊する軽やかさ、詩情や問題意識を疑似的な組み合わせによって一気に提示してみせる。モノたちを飛翔させる独特の方法は、裏をかえせばその重さを感じ、抵抗を克服し、重力や消極性を理解する方法といえるだろうこの世界があたかも地面から浮き上がっているようにみせるのは、アンドレ・ブルトンのいう「決定的な夢想者」の眼で社会を観察し、かつ詩的で批判的に距離をおくことと軌を一にしているのだ。
同様に、石油缶やチョコレートの噴水といったモノに、角は列強や経済大国、エネルギー争奪戦争や公害といった明白なシンボルを重ね合わせ、それらのイメージを喚起する。チョコレートを無制限に与えられた子供のワクワク感はかえって半減するという破滅へのシナリオも見え隠れする。視線を常識から動かし、大食い願望や軽やかさをくすぐりながらもこの世界の暗黒部分と向き合わせる巧みな手法である。さらにいえば、工業製品のステレオタイプな特質は、大工仕事や作家が手作りで制作する部分に対比される。ここでもまた、人間らしさを失った工業製品の世界と、温かいまなざしと人間味あふれる二つの特性の間の緊張感、一つの基準が生み出される。彼の作品は、資本主義社会の中で私利私欲を肥やし自らを見失っていく危険な力と、ヒューマンな視線に基づいた主観的な創造、そこから発するポエティックな夢、その両者のバランスと均衡の上に成り立っているといえるだろう。
角文平の世界は、二重の意味で「サスペンス」だ。彼の世界は重力から解放され、シリアスな意味からもつきぬけて地面から立ち上がる点で「宙ぶらりん」。面白いことに、重力を考えれば考えるほど、その繊細さや不安定さが際立つ。世界はサスペンスで危険で脅威に満ち、そのバランスは危ういばかりか失墜の時が迫りくる。
モノとモノを組み合わせ、コラージュする手法は、世界を詩のように取り扱い、また同時に世界を疑う、否もっといえば謎にかけているようで、批評性や政治性を帯びてくる。シュルレアリストたちが「世界を変革する」野望を抱いたことを思い出そう。彼らのいう「生の変革」とは、詩の革命と政治の革命とを分かちがたく結びつけながらも決して両者を混同する意思はなかった。美学と政治学との弁証法を説きながら、コラージュ的なはめこみ手法と「異形」は世界を見る新たな視線の道具となるだろう。つまり、裸眼では追うことのできない微細な物質を顕微鏡が明らかにするように、望遠鏡があれば遠くてみえないものが見えてくるのと同じように、軽さと重み、ユーモアと真面目さを取り合わせて融合することにより、角文平は現代社会の見えない矛盾や不条理を明らかにしてくれるのだ。