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dialogue : 中岡真珠美インタビュー後半 2017/3/23
Sketch – at Siri Rd. 1 - #1-10(部分)

  • dialogue : 中岡真珠美インタビュー後半 2017/3/23

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dialogue : 中岡真珠美インタビュー後半 2017/3/23

中岡真珠美 - Building Blocks
展覧会初日、作家にインタビュー形式のアーティストトークを行いました。
今回のインタビュー後半では、この展覧会で出品されている作品の共通のモチーフである工事現場の風景について、またタイでの生活で改めて見つめなおした自身の日本人としてのアイデンティティなどについて語っていただきました。
インタビュー前半はこちら

■「Sketch – at Siri Rd. 1 - #1-10」について

【画像:Sketch – at Siri Rd. 1 - #1-10展示風景】

<AFG>今回の新作はモチーフが共通していますが、作品を一目見てモチーフが建築現場であると理解する人は少ないと思います。一方で、一連の大型ドローイング「Sketch – at Siri Rd. 1 - #1-10」については、今回のモチーフの元ネタといいますか、原本の役割を果たしていますよね。私自身このドローイングをみて初めて、「あ、これを描いていたのだ」という感情の変化を実感しました。これは中岡さんの過去の原爆ドームをモチーフとした作品で、一見してフォルムと色彩の綺麗さに注意が向けられている時と、何が描かれているかを気づいた時に改めて見るときに、違った見え方になることを意図されていたものとつながるところがありますか。

<中岡> 今回が原爆ドームとちょっと違うのは、確かに我々日本人にとっては、これが原爆ドームとわかってとわからないで見るのでは違うと思います。今回スケッチ原本を見せたかったのは、「モチーフから絵画まで」というプロセスを見せたいな、と思ったからです。今回タイでいろいろな質の作品展示を見る機会があり、その中で感じたのが、「こういうモチーフがあって私はこういう絵にしました」というプロセスを見せたら面白いのではないかと思ったんです。最終形態の絵画がもっている特質は私の場合、今までのように中庸・輪郭・融合で変わらないと思います。ただ、モチーフが絵になるまでの距離をどう見せていこうかという試行錯誤をこれからしていきたいと思います。

<AFG>この作品はベースに写真を複数とり、その写真をトレースしたとのことですが、この時点である程度のイメージの分解が始まっていますよね。写真をとるにしても同じ視点から上中下と撮ることで視線のずれを無理に合わせることで視覚上の亀裂ができていたりしていますね。

<中岡>これはスケッチをしたときにさっと描いた方が簡単なんですが、線は絶対かぶらない、線での絵画空間=レイヤーはつくらないことをルールにしています。それによって前後感、鉛筆という物質における絵画性は排除できるし、触れるものの重さというか、例えば木の質感とか建物のペンキの垂れた感じとか、影など全部含めて均質なものにしたかったのです。具体的なところを伝えたい、という目的のほかに、先ほど言ったようにモチーフが絵画になっていくプロセスや距離感を見せるという意図もありました。




【画像:Sketch – at Siri Rd. 1 - #1-10ディティール】

<AFG>この絵を改めてみると、こんがらがった電線や乱雑な室内や足場など、ずいぶんと日本の風景とは違いますね。中岡さんというと絵のメディウムや色彩、余白といった画面構成や視覚表現をストイックなまでに追求してきたという印象がありますが、今回のこの作品に関しては、モチーフとなったタイのこの場所に関する物語性のようなものも感じます。

<中岡>今までだったら具体的な物語性はあまり関係ないと思って、できるだけ見せないようにしていたのですが、タイでは私のような外人からみてあまりに面白い要素、見たことのない面白い要素がたくさんあったので、全部描いて展示というかたちで発表しようと思いました。面白いと思った要素のひとつは、本当に建築現場でモノがごちゃごちゃしているんですね。「真珠美は日本人だよね、日本人はミニマルでシンプル、シンプルだよね、うちのタイ人見て、ごちゃごちゃでしょ?」というんですね。

ちょっと話がずれますが、私は自分が日本人であることを説明するときに、「日本人は外国の文化を受け入れるときに全然否定せずに受け入れる、それが日本人のアイデンティティというか特質です」、と説明したときに、全然タイ人からの反応がなかった。「はーん」という感じで。なぜかと思っていたら、タイ人の彫刻の先生曰く、「自分たちタイ人はなんでもごちゃまぜで受け入れてしまう。だから「これがタイ人」というアイデンティティがない、ないのが悩みだけれども受け入れてしまう、というのが我々のアイデンティティだと思う」、とのことでした。足し引き算なしで、すべて足す、足す、足すでやっているのがタイらしさなのか、面白いなと思いました。日本で「私たちは受け入れます」、といっても所詮島国だし、「あ、こういう言い方では学生さんたちに響かないわ、どうすれば自分たちの特質が彼らに響くのか」、考えることも滞在中ありました。

<AFG>以前タイでのお話を伺った時にも、タイの建築現場での非効率的な風景が印象的だったと言われていましたね。何か月も解体していたと思ったら結局リフォームをしていたみたいな。

<中岡>この建築現場でもゼッタイ整理整頓した方が物事は早く進むのに、ともかくいるものいらないものすべてがポイ、という感じで置いてある。使わなくなった電線と新しい電線が両方束になっておいてあったりする。黒い電線がつながったまま束になっていて、それが町中に張り巡らされていていわば恐怖なんですが、建物の下の方には鉢植えとか家庭的なものがおいてあったりする。布などもそこらへんに張ってあるんですけれども、日本のように防音・防塵といった意味もっているものというよりは、なんでかわからないけれども垂れ下がっている。気持ちやってみたけど効果なかったね(笑)という感じで。一個一個のパーツにも彼らタイの日常の「ふるまい」が詰まっているなーと思って面白いとすごく思います。




【画像 中岡さんより、タイの解体現場の写真】
 
<AFG>今回のような解体現場をモチーフに選ぶのは、2010年の展覧会で法枠や採石場など、一見すると風景画の対象物に選ばれないような人工物を描いていた頃からの流れも感じます。

<中岡>私が人工物に惹かれる理由は、そこに人のふるまいがみえてくるからなんですね。布にしても鉢植えにしても、殺伐としているからちょっと置いてみよう、という感じで、そこに関わったひとの「ちょっとラグジュリーにしてみよう」「とるのがめんどくさい」といった人々の立ち振る舞いが表れている。造形としてモノは残っているけれどもおおらかさが人工物からみえてくるので面白いと思います。そのことはタイにいって一層感じるようになりました。

これまでも「人工物」「自然」との対比を描いています、といってきたんですが、それが有機的無機的な、絵画の構造的な話だけではなくて、ここに自然があったとすると、住んでいるひとが自然を支配するでも共存でもいいんですが、人工物というのはその自然に対する人々の立ちふるまいのあらわれなのではないかと。そして場所によってそのふるまいが全然違うので面白い要素なのかと思います。

タイにいって今まで知らなかったことを見聞きすることにより、より刺激をうけ、いろいろなことがより明確になったと思います。

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