展覧会Exhibition

原田郁 - NEW DIMENSIONS
GARDEN-WHITECUBE 2018 / 1620 x 1620 mm / キャンバスにアクリル絵の具 / 2018

  • 原田郁 - NEW DIMENSIONS

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原田郁 - NEW DIMENSIONS

2018年7月6日(金) – 7月29日(日)

この度アートフロントギャラリーでは、原田郁の個展を開催致します。

原田郁は1982年山形県生まれ。アートフロントでは2011年に竹中美幸との2人展でデビューし、同画廊にて2013年に初めて個展を開催、その後もパブリックでのアート制作を含め、数多くの作品を発表してきました。原田郁の作品の特徴はそのフラットな質感とビビッドな色にありますが、もっとも重要なのはコンピュータを用いて作られた仮想空間を描くということでしょう。原田は、3Dソフトを駆使して自らが作った仮想の世界を持っています。その中には太陽が昇り陰が落ち、森や湖そして家があります。画家である彼女の創る仮想空間内には絵画を展示するギャラリーまで存在します。しかしそこには大気が無く、空気を通して見えるグラデーションが存在しません。線と面で構成された世界は単色の面の切り替わりでその空間を成しています。原田はこれらを現実世界において絵画として描き出し現実の空間に展示します。2015年の展示においては実際のギャラリー空間に合わせた仮想空間を作り、更にはコンピュータの世界に登場した家型と同じ立体物をギャラリー空間に取り入れることで、現実世界と仮想空間が入れ子構造になった空間を作り出しました。この展示を皮切りに、原田はその後、現実世界との入れ子の状態をいくつも実験しています。東京、北参道における同世代の作家たちとのグループ展では、取り壊される予定の建物をうまく使い実際のドアの上に仮想空間のドアを描きだし、まるでそのドアの向こうに仮想空間がつながっているような展開を見せました。また別の展示においては展示空間にある丸窓に影響されて、丸窓形の絵画を制作。同空間内に配置することでその関係性を強調しました。このようないくつかの実験を経て、ここ最近の原田の絵画には、“絵画”(注1)が歴史上失った場所性を回復するような方向性が見え隠れしています。制作物は基本絵画でありながら、仮想と現実が織り成す入れ子上の空間というコンセプトによりその領域が拡張されていくようです。
(注1)“絵画”はかつて、洞窟に始まりその岩の形から想像される動物の形が描かれ、聖堂の祭壇画のようにその場所のその形に合わせた絵が描かれるなど、その場所があっての絵が存在していた。しかし、キャンバスの開発と共に絵画は持ち運びが可能となり、その特有の場所性を失った。

今回のアートフロントでの展示は、作家が現実にあるアートフロントの空間を元に考え出した2つの空間から、絵画でありながら、現在の絵画が持ち得ない場所性をテーマに展開します。ギャラリーの空間構造を存分に使った巨大絵画作品と、アートフロントギャラリーを仮想空間内に構築、検証し、その空間を再解釈した数点の新作を発表予定です。
絵画史上で追及されてきたキャンバスとそれが展示される空間の関係性を、原田独自の角度で再探求する新作展を是非ご高覧ください。
日程 2018年7月6日(金) – 7月29日(日)
営業時間 11:00 - 19:00 (月、火休)
作家在廊日 7月8日(日)、14日(土)、21日(土)、22日(日)、28日(土)、29日(日)いずれも13:00 - 17:00
制作協力 興和サイン株式会社

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場所をつくる窓=絵画

五十嵐太郎(東北大学教授/建築史・建築批評家)

窓と絵画は意味論的に同じ機能をもつ。いずれも閉ざされた箱において異なる世界を現出させるからだ。もちろん、窓は壁に穴をあけることで部屋の外部という現実を可視化し、絵画は額縁の中に仮想の空間をつくりだす。ポンペイの壁画には風景を描いたものがあるが、それらは窓のように配置されていた。興味深いことに、17世紀のオランダでは、窓だけではなく、絵画にもカーテンがかけられていたが、そうした状況は当時のトロンプ・ルイユでも確認できる。またマグリットの作品に、これは窓なのか?それとも絵画なのか?を宙吊りにするような作品があることはよく知られていよう。現在、コンピュータやテレビの画面も、同じような役割を担っている。かつてのブラウン管は、物質性があるガラスの塊だったが、いまや大型かつ薄型のフラットなスクリーンに移行し、やはり部屋の中に異世界をもたらす。が、絵画的なものは任意の風景を描き、展示空間の場所と関係ない。

 一方で窓は、その場所から何が見えるかを明らかにする。そうした意味で、場所性を導入する原田郁の絵画は、窓的と言えるかもしれない。建築において大きな全面ガラスが技術的に可能になったのは近代以降だが、今回、エントランスで彼女は壁全体を窓=絵画に変えるという。いや、床面さえも、窓=絵画になるのだ。またもうひとつのギャラリーでは、絵画群を通じて、仮想の場所が現実の展示空間に重ねあわせられる。原田の作品が写実的な絵画ではないことも重要だろう。ルネサンスの透視図法以来、絵画は二次元の中に現実のような空間を再現することを志向したが、彼女の絵はまぎれもなくコンピュータの世界である。つまり、リアルな場所と結びつきながら、現実の模倣ではなく、もうひとつの世界を現実に侵入させる。

 ところで、以前、レゴランドでブロックの集積でつくられた等身大のキャラや動物が本物の人間と混ざる風景に遭遇し、現実とデータ的空間の共存を感じた。原田の絵画に人間的な形象は不在だが、向こうからこちらをのぞく気配も漂わせるのだろうか。

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