ムニール・ファトゥミ 新作紹介 vol.2:The class room
大地の芸術祭 越後妻有トリエンナーレ
2017年 11月16日(木) - 12月24日(日)
現在開催中のムニール・ファトゥミ個展「Mounir Fatmi Peripheral Vision」で発表された新作についてご紹介します。
ムニール・ファトゥミは今、最も注目されているアーティストのひとりで、今年のベニス・ビエンナーレにも参加しています。モロッコ生まれでアラブ文化のアイデンティティを現代美術の文脈の中にとりいれるとともに、より普遍的な問題として政治と密接に関わるものとしての言語や教育、また大量消費といった社会問題を扱っています。
新作紹介の2回目となる今回は、小学校の教室をモチーフにしたインスタレーション作品「The class room」について解説します。
日程 |
2017年 11月16日(木) - 12月24日(日) |
営業時間 |
11:00-19:00(月曜休廊) |
黒板に向かって並んだ椅子が宙に浮かんでいるインスタレーションは、その名の通り「教室」と題されており、ノスタルジーを感じさせる設えとなっています。
「The class room」 Installation view at Peripheral Vision, 2017
構成されているのは、ファトミが2016年に参加した瀬戸内国際芸術祭での廃校を利用した大規模インスタレーション「過ぎ去った子供達の歌」で用いられた学校の備品。
役割を終えた学校の、一様に同時刻を指してとまったままの時計たち。「私には春はなかった・・・」とチョークで黒板に書き残された文字。満足に小学校に通えなかった作家の言葉を借りれば、この「知識の場」の背後に、どんな逸話があるのでしょうか。
ファトゥミは既にベニス・ビエンナーレを初め欧米各地で作品を発表していましたが、瀬戸内国際芸術祭での試みは離島、粟島の廃校という場を与えられ、校舎をとりまく環境に呼応した作品を紡いでみせました。
Installation view at Setouchi Triennale
例えばどこからともなく聞こえてくる子供たちの声や、かつては音楽室のグランドピアノに合わせて歌われた校歌が訪問者を包み込み、かつてそこに吹いていた風や光、影なども遺品を置き直すことで再現されました。
校庭に目を移すと、取り残された子供たちの銅像がファトミがよく作品に使うジャンピングポールの上に象徴的に立っています。男の子は未来広がる彼方を指さし、女の子の方はむしろこの地、この島を慈しむように内向きである点を、作家は自らの姿に重ねたのかもしれません。
I like America, Tribute to Jacques Derrida_2007
ファトゥミは10代後半で故郷であるモロッコを後に、「もっと広い世界を観る」ためにローマやパリで学びました。ただ、どれほど活動領域を広げたとしても、やはり自身のアイデンティティの根幹をなすイスラム文化を忘れることはなく、アラブ諸国全体の発展を願う姿勢は変わりません。
例えば馬術の障害物レースに使われるポールが、成果至上主義――より速く、より高く、失敗は許されない――の現代社会を象徴すると作家は言います。時にはポールをアメリカの国旗になぞらえ、近代化民主化への道のりが「障害」によって阻まれている姿を映し出しています。チュイルリー宮殿の庭やドバイに設置された作品は、アメリカの影とも見られるポールを設置していますが、作品が置かれる場所を強く意識する作家の姿勢が伺われます。
The Exile Pavilion 03, 2016-17 at THE 57TH VENICE BIENNALE, 2017
今年夏に開かれたベニス・ビエンナーレでは移民問題をとりあげ議論を巻き起こしました。ベニスのように世界中から観客が集まってくる場所で、自らを「移民労働者」と位置づけたファトゥミ。パリでは彼のスタッフが選挙にいくのに長年パリに住んでいる彼自身は選挙権を持たないという現実があります。
様々な社会問題に深くきりこんでいく作家の挑戦が続きます。2018年の妻有トリエンナーレへの参加も決まり、ペリフェリー=辺境の地における新たな展開が期待されます。
「Mounir Fatmi Peripheral Vision」は12月24日まで。
次回は引き続きファトミの新作の中から、写真や彫刻作品の解説をアップしていきますので、ぜひご高覧ください。