プロジェクトProject
[寄稿文] 大巻伸嗣フォトグラム作品に寄せて
ギャラリー
大巻伸嗣が2023年末に国立新美術館およびアートフロントギャラリーの個展で発表したフォトグラム作品《moment》について、写真家・写真評論家である港千尋 氏にテキストを寄せて頂きました。
フォトグラム作品の影の元となった大型彫刻作品《Gravity and Grace / 重力と恩寵》は、2016年に港氏が芸術監督を務めた「あいちトリエンナーレ2016」で初めて発表され、大巻の代表作シリーズのひとつとなりました。それから数年を経て、国内外様々な場所で発表されその光と影を放ち続けてきた巨大な壺型のインスタレーションは、フォトグラムという形でまた新たな展開を魅せています。今回はそのフォトグラムについて語っていただきました。
時の影たち
港千尋
沖縄のシンボル首里城に「漏刻門」と呼ばれる門がある。かつては石門の上の櫓に水時計があり、王城全体に太鼓を叩いて時を知らせていた。水が漏れる時を測るので「漏刻」という、その言葉が印象に残っている。大巻伸嗣の新作《moment》を観ながらふと、この門を思い出した。作品は国立新美術館で展示された《Gravity and Grace》を使ったフォトグラムで、モノクロームの印画紙に定着された光と影のグラデーションのなかから、さまざまな文様が見えてくる。大きな壺の透かし彫りを通して漏れる光が、とても美しくかつ儚さをたたえたイメージとして現れる。壺の影を見ているうちに、最初に発表された時の光景が脳裏に蘇ってきた。
あいちトリエンナーレ2016の豊橋会場。夜の帳が降りてから訪れると、全面ガラス張りのファサードから、街に向かって強烈な光が放射されてゆくのが見える。ゆらめく文様が街のなかへ広がって、やがて路地の隅々にまで入り込んでゆくような気がしてくる。都市の身体に光のタトゥーを施してゆくような、驚くべきインスタレーションだった。フォトグラムのアイデアは、その時に生まれたのかもしれない。しかしガラス張りのファサードからは街の灯りも室内へ入ってくるのだから、暗室は作れない。
そこでアーティストは展示室を暗室にすることを思いついたのだろう。美術館はよくホワイトボックスと呼ばれるが、照明を消した白い箱はブラックボックスそのものである。空間そのものが「カメラ」となり、そのなかに最大サイズの印画紙を入れて、露光するわけである。80万ルーメン以上に達するという強力な光だから、露光は一瞬。光源からの距離により、透かし彫りの輪郭や角度が大きく違ってくるから、試行錯誤のすえ得られるのは、一度限りのイメージになる。
露光された印画紙はそのまま、ブラックボックスのなかで現像される。現像液に浸された紙のうえに、ゆっくりと印画が浮かび上がる。それは一瞬の露光と対象的に、ゆっくりと完結するもので、豊潤と形容したくなるような厚みをもった時間であるが、同時に期待通りに写っているかどうかわからないという、不安の時間でもある。小さなサイズの印画紙を利用する通常のフォトグラムならば、引き伸ばし機のライトを照射すればよいが、《Gravity and Grace》の大光量となると結果はそう簡単に予測のつくものではないだろう。
イギリスで写真を発明したフォックス・トールボットは自宅の屋敷でさまざまな実験を行ったが、最初期の試みはフォトグラムだった。博物学的な知識をもっていたトールボットは、さまざまな植物の葉や花を印画紙に置いて露光した作品を制作している。実験段階とはいえ、画質は現代のサイアノタイプに劣らない。自らの発明をギリシア語で美しいを意味するカロを冠した「カロタイプ」と名付けた通りの、非常に美しい写真だ。それらのなかには、レースを使ったものがある。露光されてから2世紀を過ぎてなお、レースの文様がきれいに見えるのである。
だが写真史の上で大巻伸嗣の新作を位置づけるならば、やはりモホイ=ナジ・ラースローによる、一連のフォトグラム作品との比較が必要であろう。よく知られるようにカメラを用いずに直接印画紙に露光する技法は、マン・レイやクリスチャン・シャドなど、1920年代に活躍したアーティストたちの試行錯誤を通して生まれてきたものであり、それらのなかで技法を「フォトグラム」として確立したのが、モホイ=ナジである。バウハウスで研究と教育を行いながらアートの歴史に決定的な影響を及ぼしたモホイ=ナジが他の作家と異なるのは、彼が写真だけではなく《光・空間・調節器》(Licht-Raum-Modulator)に代表されるような、光によって空間を変容させる装置を考案し、キネティックアートやメディアアートといった新たな地平を指し示したところにある。
およそ100年の時を経て出現した《Gravity and Grace》と《moment》はその規模やメカニズムは大きく異なるものの、光によって空間を変容させ、光の刻印としてのフォトグラムという点で、モホイ=ナジとの歴史的なつながりを感じさせる。非常に強い光が印画紙に及ぼす影響は、わたしたちに「感光」という現象が肉眼で認識できるギリギリの両者に共通する大切なことは、うまくいくかどうかわからない「未知数」を方法論のなかに組み込んで、そこから未知の体験を生み出そうという、力強い実験精神だと思う。
大巻伸嗣の《moment》の光の階調が変容させる文様には、さまざまな時間が層となって堆積しているように思われる。その層のなかには写真の始まりやそこから始まる弛みない実験の歴史がたたみ込まれている。大きな壺は内部からいろいろな瞬間を漏れだして、世界の多層性を発見する旅へと誘う、タイムマシンかもしれない。はるかな闇を移動するタイムマシンにはきっと窓があって、誰かが過ぎゆく世界を眺めているのだ。《moment》の文様のなかにゆらめく、ヒトの影。その影はおそらく、「時の門」へと向かう旅人であろう。
個展「Interface of Being 真空のゆらぎ」展示風景(国立新美術館)