展覧会Exhibition
レアンドロ・エルリッヒ - Cosmic & Domestic
2018年1月19日(金)-2月25日(日)
この度アートフロントギャラリーでは、2014年秋に続き、2回目となるレアンドロ・エルリッヒの個展を開催致します。
レアンドロ・エルリッヒは、建築を学んだ後にアートの世界へと活動領域を広げ、現在もっとも注目されるアーティストのひとりです。知覚や認知といった問題を扱いながらも科学的実験の厳密さではなく、ユーモアとウィットに富んだねじれた空間、だまし絵のような手法によるエルリッヒの作品は、作品を体験する人同士の関係を解きほぐし、人々が共有できる場を生み出します。金沢21世紀美術館の常設作品、スイミングプールに始まり、越後妻有里山現代美術館の「トンネル」、世界各地で実現している参加型の「ル・バチモン」など日本国内でよく知られた作品を見るだけでもその多様なアイディアに驚かされます。スペイン、フランス、台湾と世界中を忙しく飛び回るレアンドロですが、2016-2017年は主に日本を活動の場とし次々と新作を発表しています。2017年春に完成した、越後妻有の新作 「Lost Winter」を初め、スパイラルでは、YKKAP窓学展に出展した新作「Window and ladder- leaning into history」を発表。加えて2017年 冬開催の森美術館での個展「レアンドロ・エルリッヒ 見ることのリアル展」でも更なる新作を発表しました。また、2018年 越後妻有の大地の芸術祭にも新作を引っさげて帰ってきます。今回のアートフロントでの展覧会は、まさにレアンドロ一色となる2017年後半から2018年の日本のアートシーンの中で開催されますが、大規模インスタレーションとは違うより身近なレアンドロをお楽しみいただきます。アートフロントでの新たな作品をぜひご高覧ください。
レアンドロ・エルリッヒは、建築を学んだ後にアートの世界へと活動領域を広げ、現在もっとも注目されるアーティストのひとりです。知覚や認知といった問題を扱いながらも科学的実験の厳密さではなく、ユーモアとウィットに富んだねじれた空間、だまし絵のような手法によるエルリッヒの作品は、作品を体験する人同士の関係を解きほぐし、人々が共有できる場を生み出します。金沢21世紀美術館の常設作品、スイミングプールに始まり、越後妻有里山現代美術館の「トンネル」、世界各地で実現している参加型の「ル・バチモン」など日本国内でよく知られた作品を見るだけでもその多様なアイディアに驚かされます。スペイン、フランス、台湾と世界中を忙しく飛び回るレアンドロですが、2016-2017年は主に日本を活動の場とし次々と新作を発表しています。2017年春に完成した、越後妻有の新作 「Lost Winter」を初め、スパイラルでは、YKKAP窓学展に出展した新作「Window and ladder- leaning into history」を発表。加えて2017年 冬開催の森美術館での個展「レアンドロ・エルリッヒ 見ることのリアル展」でも更なる新作を発表しました。また、2018年 越後妻有の大地の芸術祭にも新作を引っさげて帰ってきます。今回のアートフロントでの展覧会は、まさにレアンドロ一色となる2017年後半から2018年の日本のアートシーンの中で開催されますが、大規模インスタレーションとは違うより身近なレアンドロをお楽しみいただきます。アートフロントでの新たな作品をぜひご高覧ください。
日程 | 2018年1月19日(金)-2月25日(日) |
---|---|
営業時間 | 11:00 - 19:00 (月休) |
レセプション | 2018年1月 19日(金) 18:00~20:00 Reception |
リアルを観測する装置
意外な取り合わせや関係性から、見る者の「現実」とは何かについて問いかけるレアンドロ・エルリッヒ。ここ数年の関心は日常におけるモノの存在、特に機能性の探求がかたちとなって現れたモノの意味の作り直しである。
新作《 Laundry 》では壁面に6台の乾燥機の窓が並んでいる。乾燥機は、洗濯物を「乾かす」という機能によって或るかたちとして存在しているが、エルリッヒのそれには、実際のところ洗濯物は存在しない。乾燥機の窓に映るのは洗濯物が回る映像であり、乾燥の行為はフィクションである。窓の向こう側のリアルの不在に気づいた途端、見る側は途端にリアルを探し始める。それまで乾燥機が存在する意味など微塵も疑ったことなど無かったはずなのに、エルリッヒの巧みな装置が認識の迷いやブレを惹き起こすのだ。
《Elevator Maze》は、身体ごと作品の空間に呼び込むことで、人々がより強く現実を疑わざるを得ない状況を創出している。扉が開いたエレベーターの函に乗り込むと、通常ではあり得ない隣の存在に気づく。なぜなら自分が居るエレベーターの空間には居ない、「誰か」を隣に見るからだ。3個2列のエレベーターの函が並び、それぞれの函に人が入ると、認識の混乱は最高潮になる。エレベーターというモノを既に知っていることがエルリッヒのエレベーターと認識の間に溝をつくり、見るものと実際に体験するものが一致しているとは限らないことを強く意識づけるのである。見るものが現実であると考えるのは、まさにプラトンの言う「イデアの影」だ。函の或る面は鏡で自分の姿も映るので、自らの存在を疑うことはかろうじて留まるが、そもそも鏡という、像を結ぶ反リアルな存在によって現実を把握するとは皮肉な話である。
乾燥機やエレベーターに付与した存在の意味など、あまりに長いこと無意識に認めてきたために疑いもしない。しかし、ちょっとしたすり替えや特徴を際立たせることで、そもそもの意味は何だったのかについて深く考えることに陥る。バーチャルに拍車がかかった今日では、あらゆるものが疑わしく、実体を確かめることなど、もはやどのレベルでも難しい。見る側の環境と意識が変化しているので、エルリッヒの作品のリアリティは増すばかりだ。エレベーターと乾燥機で測られるリアルとはどの程度なものなのだろうか。
金沢21 世紀美術館 チーフ・キュレーター 黒澤浩美
意外な取り合わせや関係性から、見る者の「現実」とは何かについて問いかけるレアンドロ・エルリッヒ。ここ数年の関心は日常におけるモノの存在、特に機能性の探求がかたちとなって現れたモノの意味の作り直しである。
新作《 Laundry 》では壁面に6台の乾燥機の窓が並んでいる。乾燥機は、洗濯物を「乾かす」という機能によって或るかたちとして存在しているが、エルリッヒのそれには、実際のところ洗濯物は存在しない。乾燥機の窓に映るのは洗濯物が回る映像であり、乾燥の行為はフィクションである。窓の向こう側のリアルの不在に気づいた途端、見る側は途端にリアルを探し始める。それまで乾燥機が存在する意味など微塵も疑ったことなど無かったはずなのに、エルリッヒの巧みな装置が認識の迷いやブレを惹き起こすのだ。
《Elevator Maze》は、身体ごと作品の空間に呼び込むことで、人々がより強く現実を疑わざるを得ない状況を創出している。扉が開いたエレベーターの函に乗り込むと、通常ではあり得ない隣の存在に気づく。なぜなら自分が居るエレベーターの空間には居ない、「誰か」を隣に見るからだ。3個2列のエレベーターの函が並び、それぞれの函に人が入ると、認識の混乱は最高潮になる。エレベーターというモノを既に知っていることがエルリッヒのエレベーターと認識の間に溝をつくり、見るものと実際に体験するものが一致しているとは限らないことを強く意識づけるのである。見るものが現実であると考えるのは、まさにプラトンの言う「イデアの影」だ。函の或る面は鏡で自分の姿も映るので、自らの存在を疑うことはかろうじて留まるが、そもそも鏡という、像を結ぶ反リアルな存在によって現実を把握するとは皮肉な話である。
乾燥機やエレベーターに付与した存在の意味など、あまりに長いこと無意識に認めてきたために疑いもしない。しかし、ちょっとしたすり替えや特徴を際立たせることで、そもそもの意味は何だったのかについて深く考えることに陥る。バーチャルに拍車がかかった今日では、あらゆるものが疑わしく、実体を確かめることなど、もはやどのレベルでも難しい。見る側の環境と意識が変化しているので、エルリッヒの作品のリアリティは増すばかりだ。エレベーターと乾燥機で測られるリアルとはどの程度なものなのだろうか。
金沢21 世紀美術館 チーフ・キュレーター 黒澤浩美

Leandro Erlich, Elevator Maze, 2011, 260.4 x 496.5 x 292.7 cm, mixedmedia
アーティスト
関連ニュース








































関連プロジェクト






