2016年8月より開催された「あいちトリエンナーレ」で大巻伸嗣は、3会場での大規模な空間を使ったインスタレーションを展開して話題を呼びました。特に作家の代名詞ともいえる作品の一つ《Echoes-Infinity》は鑑賞者に人気の作品となりメイン会場の愛知県美術館で見ることができます。450㎡という広大な展示室の床を全面使って制作されたもので、これまでの大巻の作品の中でも最大級の規模を誇ります。会期後半10月11日より作品内に立ち入ることが許され、床に描かれた文様は来場者に踏みしめられ、しだいに姿を変え、時間とともに消えていくことで完成することになります。
もう一つの会場となった豊橋市の穂の国とよはし芸術劇場PLATでは、《重力と恩寵》という高さ7mの鉄で作られた坪状のモニュメントの中に強烈な光が上下する仕掛けになった作品が発表されました。モニュメントの表面は大巻らしいデリケートな花柄が透かし彫りの要領で描かれていますが、およそ70000ルーメンという、昼の光の下でも目が眩みそうな強烈な光にその絵柄は輪郭を失い見えなくなる瞬間があるほどです。そのなかには猿から人への人類の進化を示す絵柄も潜んでいますが、人類の進化は繰り返し描かれており、人から猿へと退化しているようにも見えます。描かれた絵柄を読み解きながら強烈な光があふれる様子を眺めていると、きれいな花柄の坪は突如として狂気をはらむ容器のように見え、人類への警告のようにも見えてくるのです。この過剰なまでの光を生み出すものの実態が何であるか、光の先に消えていくものたちが我々人類をも含んでいるのではないかということを考えると、とたんに非常に怖い作品のように思えました。
今回のアートフロントギャラリーでの最新作を含む、ここ最近の近作において大巻は金属を用いた作品を発表しています。大巻のこれまでの作風であるマッスをもたない脱彫刻的な作品からすると金属を用いた物質的な表現は一見その作風が変化したように感じるかもしれません。しかし、これらの作品はこれまで大巻が続けてきLiminal という一つのテーマから決して離れてはいないのです。このことは先日ギャラリーで開催した作品集の出版記念トークで改めて語られました。
Liminalは識閾と訳される言葉で、ある意識の出現または消失の境界(閾)を指します。大巻にとって、何か予感のような、知覚するうえでの曖昧な状態はそこから変化しうるという意味で無限の可能性をはらんでいます。隔てるという意味での境界ではなく、その境界における揺らぎを追求していくときに、改めて塊としての物質を問おうてみようと、金属を扱い始めたということなのです。個展で発表した最新作は、ステンレスや鋼鉄製の板を用いていますが、このまっすぐな板状の物質に非常に強い力を加えることでその存在を揺るがし、人の知覚において曖昧な状態にもっていこうと試みています。展示された作品の裏には鮮やかな色が施されていますが、その色が一瞬、表に立ち現われてくるような瞬間を形として留めたかったといいます。これもまた別の意味での脱彫刻的な流れといっていいのではないでしょうか。
新たに物質を扱いながらも、どちらに傾くことができるよう曖昧さをもつ状態を目指す大巻の考え方は、西洋的な二元論では片付かない時代のリアリティに即しているのかもしれません。